対人恐怖症地獄の中から

私は、これまで十六年間、静中の工夫というのをやって来た。

しかし、この強迫観念は、治らないのだ。

十六年間、明けても暮れても努力したけれども、治らないのだ。

去年の秋、森田博士の著書を一冊買い、それから、他の三冊を買い、雑誌「神経質」第一巻から送ってもらい、全部に目を通したけれど、対人恐怖症というものの深刻さが、自分の経験したほどよく出ていなかったが、三月号の雑誌を見ると、十九の夫人の手紙によく出ている。

実に同感共鳴で、実に対人恐怖症の深刻さというものは、あの通りのものである。

私は男であるが、しかも対人恐怖症の心理なり、現象なりは、そっくり同じところがある。

私は、今でもその通りでありますが、十何年、ないしニ十何年前、学生の時に、教室で顔が上げられなくて実に困った。

この婦人なんか、姉や親にそれを話しているのが、私は負けず嫌いで、あまり人には言わない。

人中における苦しさは、話にならないのだ。

それで、何年か頑張ったが、とうとう退学してしまった。

実に、この婦人の言っているように、何の因果でこんなひどい目に合うのかと、恨めしくてならないのだ。

そして溜息をついて、二十何年を送って来た。

こんなことは、松村介石先生などに訴えても、同情はしてもらえぬだろうが、その貧乏なぞいうことも苦しいであろうが、対人恐怖症の苦しさは、全く別種のものである。

腹を切る痛さは我慢できても、こいつは、容易に我慢ができまいと思われる。

心の中は、杉浦重剛先生が、二十二の時、はじめて西洋に乗り出すその船の中で、生きてはまさに、雄図四海を広げるべし、という詩を歌った、あの時の先生の意気にも負けない意気を、私も持っていなかったとは言わないが、一度、対人恐怖症に睨みつけられると、もうぐうの音も出なかった。

この婦人の書いていること、読み進むに従い、全く同感。

私も従来なぞ歩いて、向こうから数人でも連れ立って学生なぞ来ると、妙に固くなってしまう。

世の中に、こんな病があるということは、おそらく一般にはまだわかっていまい。

こんな病にかかっている人間は、たとえ体は寸分申し分なく、完全で立派でも、兵隊としては役に立たない。

つまり、徴兵には不合格にならなければならないわけであるが、おそらくそんな理由で不合格になったりした例は、あまりないでしょう。

すべて人中に出てする商売は、何にもできはしない。

ただ私は、この婦人のように、病気の性質がわかっていなかった。

ただ神経質と思い、ただ臆病とばかり思い、ただ思想がまとまらないと思って、二十年を送って来た。

そしてどう工夫してもらちが明かないので、学校もやめ、一室に籠り、出て人に交わらず、自分の心の始末をつけて、それから世に出て、人並みの働きをしようとしたのである。

そして、そうなるには、白隠禅師の本にも、「勇猛の衆生のためには、成仏一念に有り」とあるから、私とて、一日かないし一ヵ月もかかったら治るであろう、大胆になるであろうと思って、その悟れる日が今日か明日かと、明けても暮れても専心努力、専心思想、いつか春過ぎ夏来り、また秋の風、冬の霜、とうとう盆も正月も、いくつもいくつも打ち越えて、十六年ぐらいも経ってしまった。

そして何ら強迫観念上、得るところなかった。

「どうしても、人と顔を合わすことができない。

自分の顔が変になって、どうにも人に顔を見せられない。

顔が変になる。

次第次第に増してくる。

目が自然になけてくるようで、笑っても、いやな笑い方になる。

身も世もあられぬ心地。

先生の顔を正視することができず、うつむいても悪いようで、いつも変なふうになるのが常でした。」

以上、全然同感であります。

ニ十何年、このような状態を続けてきた私が、いかに、この心の癖を治すことができるか。

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著