赤面恐怖の同病者が多いことを知って
僕も、森田正馬先生によって救われた一赤面恐怖患者です。
僕は、中学二年の時、赤くなる赤くなると、教室内ではやしたてることが流行した時、赤面恐怖に捉われたのです。
そして、この時ひょっと、女に対して恥ずかしい思いとこの赤面とが、何か離れない関係にあるように思われました。
それ以来、赤面、女ということばかり気にかかり、道を歩くも、運動するも、教室内でも、あるいは家においても、四六時中、僕の心を離れず、赤の声にさえ怯えました。
執着という事の、いかに恐ろしいことでしょう。
道を行く時、女に対して赤面するのはもちろん、教室内においても、赤、女、つづいては性関係のことは何でも赤くなり、自らそれを探し求めてろくろく勉強も手につかず、生きた気もなかったのです。
それがため、一日も早く陰惨な中学時代の去ることを求め、卒業式にも出席せず、証書は一年後郵便により送りとどけられたのでした。
二十歳の年、局に入りまして、赤面恐怖を思うと身を切られる思いがしましたが、家人が煩わしいので、仕方なかった次第です。
やがて、赤面恐怖が頭をもたげました。
女給仕の後ろ姿がチラッと眼についても赤面し、その為、たちまち有名になりました。
しかし、僕は自尊心高く、自分は赤面すると考えたことは一度もなく、自分は赤面しないと信じ、しかも赤面していました。
その頃、僕は、一年余りも、岡田式静座法を独習しました。
よく何時間も、じっと動かずに座っていたものだと今も感心しています。
静座している時、僕は赤くならない、という自信が起こるのでした。
家にいる時は、何もしなくとも、赤くならないという事にさえ気がつかなかったのです。
二十一歳の春を迎えました。
書店で、先生著『神経質及神経衰弱の療法』を見出したのが、私の救われるに至った幸運の鍵でした。
僕の第一に驚嘆したことは、僕と同病者のいたということでした。
事実、僕は、広い世界に、赤面などに悩まされるものは、自分一人くらいのものだと考えていました。
幾度、この書をひもといたことでしょう。
今日にいたるまで、僕は暗記するほど読んでいます。
なお先生著『神経質の本態及療法』も熟読いたし、回を重ねること数回、ついにこの恐怖は、全治したと思いました。
先生の「事実を事実として忍耐せよ」という教えをたやすいことのように思ったからです。
そしてその教えの奥底に、徹することができなかったからです。
己を捨てられないままに、捨てているのが僕の現在です。
赤面しながら、人を恐れながら、馬鹿にされながら、じーっと忍耐して、自分のなすべきことをなしています。
自分の苦痛を回避するために宗教書を読んだとて、それは全く、自分の重荷になるのが関の山でした。
僕は、昨年六月頃から、絵を描いています。
画家になりたい志はやむにやまれませんが、親に心配かけるので、余暇に一心に描いています。
人の多い場所にカンバスを立てなどしていますが、恥かしいまま、怯えながらも一心不乱に描いています。
知らず知らず、先生の教えに感化されたためでしょう。
一線を引くにも、充分な慎重さをもって、幾度も幾度も思い通りに直してからでなければ気の済まぬ心理は、神経質の特異なところでしょう。
すぐ赤面するほどの神経質であればこそ、画を描く幸福感が得られるのだと、初夏の景色を写生しながら、つくづく僕は神経質に感謝しました。
今なお、女の笑い声にさえ、赤面恐怖を持ち続けている小胆者ですが、その場限りで、その恐怖は薄らいでいきます。
将来の大画家を夢見つつ、また局の仕事を努力してやっています。
今自分は、苦しかった過去十四歳よりニ十三歳にいたる九ヵ年に及ぶ苦悩、それは全くわがまま、利己心からであることを知り、自ら求めて前途を暗黒にしていたことを、慚愧しています。
闇黒の中に光明を見出させ下された先生に対して、僕は熱い感謝を表せずにはいられないのです。
最後に、先生のご健康と、神経質の発展を祈りつつ。
※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著