気の小さい友を救って下さい
対人恐怖症患者友人問:Aは、今年ニ十八歳。
中学卒業後、会社の事務員となり、二年になりますが、幼時から赤面症で、近頃それがますます烈しくなり、非常に苦しんでいます。
人を訪問したり、社長に報告や説明をする場合などには、顔面がブルブルと震え、頸筋が硬直してしまい、思うこともいえなくなり、胸がガスでも溜まったように込み上げて来て、一句一句、呼吸してからでないと語が出ず、ことに議論などする場合には、足がフラフラして、女にも劣る小胆さに、自分ながら世界一の不幸者だと泣いて私に訴えます。
この頃では、人に見つめられているなということを考えただけでも、頸筋が硬直し、茶碗を持つ手まで震えて、お茶が呑めないほどです。
これを治そうとするために、彼はいろいろな身心強健術や錬胆術などの著書を読み、無念無想になろうと努めていますが、一向効果なく、ことに最近では、結婚問題について非常に恐れています。
儀式張った三々九度の式などは、到底実行できないから、そんなことのない、カフェの女給とでも、一緒になっちまおうなどといっています。
彼には、写真をとるということが、絶対にできません。
こんな状態では、会社における彼の寿命も、おぼつかないように思われます。
私は、森田先生の『神経衰弱及強迫観念の根治法』を勧めてみようと思いましたが、一応、ご相談申し上げてからにしたいと存じます。
自ら努力するよりほかない
対人恐怖症患者友人の問への森田正馬の回答『単に気が小さい、恥かしいために、人世のことができない、というならば、それは意志薄弱者である。
しかし何とかしてこれを治したい、すなわち人並以上の人間になりたいという気概のために苦悩するものは、立志者であり、修道者であり、勇者である。
これが間一髪の差であります。
偉くなりたいという事を失念して、気の小さいのを治したいと考える。
たとえば、試験に及第したいということを忘れて、気楽に本を読みたいと考え、あるいは貯金することをやめて、金の欲を離れる修養をするというふうの考え方をするのが、神経質という気質の人であり、これが亢じて強迫観念というものになる。
ここに問いの人は、その強迫観念であり、赤面恐怖もしくは対人恐怖症と称するものであります。
これを治すには、第一に本人が、治したいために自分で進んで問わなければ、他人が側から世話を焼いても、なかなか治らない。
教える私にしても、あまり乗り気にならないことであります。
デモクリトスは、吃音で、控訴に負けたことに憤慨して、奮闘、努力、大雄弁家になった。
亀山天皇は、雷の時、縁側に出られて、雷恐怖を治されたのです。
出世したいということを忘れて、課長の前で恥ずかしがり、立派な妻を獲たいことを失念して、下等の女を楽に弄ぼうとするなどは、皆自分の心底の本来の性情すなわち欲望の捨てがたいということに気がつかず、誤った見解、屁理屈をもって、目前の自己の苦痛から逃れようとする卑怯な心掛けであります。
しかも、もしこれが意志薄弱者で、本来欲望の乏しい性質ならばそれなりに済むけれども、神経質の性格は、これに反して、欲の上にも欲があって、欲望は捨てきれず、その上にその大欲望を、苦痛も恐怖もなく安楽に獲得しようとする、虫のよい理屈を割り出すから、その結果として、他人の成功は、ただで楽でできたように、偏見をもって解釈するのであります。
「写真を撮ることが絶対にできない」とか、そんな「絶対」は独断のわがままの用語であって、能わざるに非ず、なさざるなりである。
ただ苦痛を覚悟して、欲望を見つめればよい。
結婚問題があれば、恋するがよい。
恋するには、その候補者を、ただ閉目して静かに、心の内に見つめ、その人の良いことのみを思いつめるとよいのであります。
※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著