赤ん坊の顔さえ正視できない

昭和4年秋に、先生のご診察を賜ったことのあるものです。

その後、不養生の結果、ますます症状を悪化させましたが、今はほとんど全快に近いまでになったような気がいたしますので、喜びのあまり、こんなことを書かせていただくわけです。

私は、頑固な赤面恐怖、視線恐怖、笑顔恐怖等の対人恐怖症でありました。

小学校時代から苦しみましたが、中学校に入学いたしましてからは、視線恐怖、笑顔恐怖にも襲われ、その苦しさは、言語に絶しました。

二十三歳になる男でございますが、私は今まで、一度として、明らかな天日を仰ぎ見ることはできませんでした。

いつも心はじめじめして、言い知れない苦しさに終始追い廻され、電車、汽車、群集内は愚か、道行く人の顔さえも恐ろしくて、外出ができず、果ては、無心の赤ん坊の顔さえも、正視するに耐えませんでした。

しかし、どうにかこうにか卒業いたし、K農高に入学いたしましたが、不運にも、そのうえに肺尖カタルに見舞われ、二年の時、中途退学のやむなきことになりました。

医師から肺尖カタルと診断されたならば、恐らくは、常人には死の宣告のようなものでしょうが、私には何の苦悩や心配はありませんでした。

家ですすめるので、入院はいたしましたが、看護婦が来ても脈は亢進し、なかでも医師の回診の時には、全く困りました。

視線恐怖で、医師の感情をがいしはしないかと気に悩み、対人恐怖症を起こしては自分の不甲斐なさに迫られ、入院患者にとりましたは、本当に涙さえ出ない悲劇でした。

正に回診地獄です。

こんな有様で、苦しさから、入院三カ月で退院いたしましたものの、やはり人はどこにもおりました。

苦しさは、どこに行きましても同様で、ついに自暴自棄になりまして、この苦悩を紛らわすために、学生たるの本分をも忘れて散々荒れ回りました。何たる馬鹿者だったでしょう。

その報いとしてきたものは、いわずして明らかでありました。

肺の再発と世人嘲弄憫笑のみでありました。

こんなでありましても、私はいまだ人様に対しても、否、主治医、肉親に対しましても、この悪癖を告白することができませんでした。

そして相変わらず、自己反逆を企てました。

周囲の者からは全く変人視され、甘く見られ、医師からは愛想をつかされ、このようにして方々に入院いたすこと三回、ついには、その対人恐怖症に絶望して、二回まで、自殺を企てた愚か者です。(その間に、胸の方はだんだん悪化しました。)

しかし、今考えれば幸いなことに、二回ともに危ないところで救われ、それからは、昔買って読んだ、森田正馬先生の著者『神経衰弱及強迫観念の根治法』と『神経質の本態及療法』とを読んだのです。

しかし、病気の間に、頭は相変わらず悪くて、十項読んではやめ、五項読んではやめして、読んだのでしたが、私の心には、明らかな朝日が昇ってきました。

救いのご来光です。

私は、手を上げて招きました。

六月の若葉に降り注ぐ、さんさんたる太陽の光のごとき、静かな、ゆったりした落ち着きの中に見る、爽やかな心のときめきを感じました。

救われたのです。

ある騒然たる力が身内に湧き上がるのを知りました。

森田博士の偉大なる人格にふれたのです。

そして、過日、ご診察を賜った時の先生の風貌が崇高と威厳とをもって、眼前に彷彿するのでした。

思えば、十年の苦悩から、今はじめて救われたのです。

有難うございます。

今もやはり、人の目を正視できません。

しかし、それでも、苦しくはありません。

ゆるやかな微笑みも、けっして、女性的であり、屈辱的であるとは、思わないようになりました。

赤面も致します。

しかしこれはけっして、不甲斐のないことであるとはおもいません。

かえって人間としてのうるおいがあって、奥ゆかしいところがあるのだ、と思うようになりました。

そしてはじめて、私の日記には、対人恐怖症の煩悶のことばがなくなり、胸の病を治さなければならないという言葉が、書かれるようになったのです。

今になって、なにゆえ早く、せめて二年も前に、一心に先生の著書を読まなかったかと悔やまれてなりません。

しかし、この朗らかな心で、胸の病も必ず治してやると、かたく心に誓っています。

一言にしていえば、私は、あるがままにあれ、という言葉に捉われて、しかも自然に服従し得ないので、不自然を自然となそうとして、あせり、もがいたのであると思います。

四月号の形外会の記事で、荒巻氏の問にお答えなされた先生のお言葉くらい、心にぴったりきた言葉はありませんでした。

また、六月号の「色黒の七徳」を面白く拝見しました。

考えてみますと、私の顔も、色は黒い上に赤く、視線恐怖のために眼はぎらぎらで、まるで仁王様のようであろうと思います。

それゆえ私は、自分にはこんな悪癖があって、人を恐れ、かつ客観的に私くらいに醜い男はいないでしょうと、誠意をもって人に告白したのが、一番結果が良かったようでした。

先生の「誰よりも劣る男であることに、徹底すること」とおっしゃる言葉が、ピンと響いたのでした。

「神経質」は本当に、われわれ神経質者のバイブルです。

私はこんなふうにして全快いたしましたので、喜びのあまり、かかせていただきました。

これも先生のご恩の万分の一に謝する言葉です。

病床から、先生のおかわりなきご健勝と、神経質の発展とを祈り、筆をおきます。

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著