不安はつきもの

二十六歳、小学校教員、対人恐怖症(昭和八年十月、入院)。

対人恐怖症克服日記第十九日(十一月十一日)・・・先生から、仕事場における道具について、患者のした主観的な独断的整頓の不適当なことや、患者が書いたいろいろな注意の貼り紙やについて、ご注意があった。

「自分で整頓するほどの人には『埃捨場』とか『金鎚の置き場』とか、一目してわかるようなところへ、何々置き場と書くなどは、何の用にも立たないし、一方にはまた、不真面目な人は、決して貼り紙などを見るものではない。

貼紙の字を見るよりは、その場、その物を、そのまま観察すればわかることである。

道具は、整理して、キレイに陳列するのが目的ではない。

いつでも最も適切に、迅速に利用できるようにするのが、その道具の目的であるのである」ということであった。

対人恐怖症克服日記第三十日・・・外来患者の診察を聴いた。

先生は、心悸亢進恐怖の患者に、必死必生の心境で、庭を何回も走り廻された。

誠に「道は近きにあり」である。

対人恐怖症克服日記第三十一日目・・・朝早く起きるのが、苦でなくなった。

いろんな仕事が、待ち構えているからである。

すべてのこと、はじめからただ、出来上がることをのみ思って、他に苦楽というほどのものもなし。

もちろん働くことそれ自身が、一つの喜びであることと、刻々に成果が見えていく喜びは、常にある。

この頃は、一切のものに、純一な研究的態度をもって、生活するようになった。

先生の言葉は、わが「事実唯真教」の聖典である。

先生の大乗教に対して、奥様の小乗教があり、思索しながら、事実の真を探ることに、いかに大望を起こしても、毎日毎日充分であるということがない。

今日も、お話があった。「人生に、不安は常に大切である。

不安は欲望につきもので、あたかも影の形におけるようなものである。

形が大きければ、影も大きい。

大いなる欲望と大いなる不安とが、つりあう時に、そこに安定があって、自転車が走っていて安定であるように、われわれの心も、欲望と不安との間を走っているために、安定が保たれるのである。」

理髪店へ行った。

前のように店の入り口でまごつく心もなく、何のこともなかった。

行きつけの床屋に行くのが恥ずかしくて、わざわざ半里ほども遠方の床屋へ行った昔を思い出す。

その頃は、なぜ人は、あのように床屋と仲良しであろう等、苦にやみ、一方、床屋くらいが何だと、負け惜しみを起こすと同時に、床屋なりとも、心持ちよく話を交えてみたい、という欲望を持っていたのである。

対人恐怖症克服日記第三十四日目・・・古閑先生の依頼で、郵便局へ行く。

この頃は、自分が人をにらみ、また人が自分を視返すというようなことがなくなった。

前には、郵便局でも、事務員の視線を恐れたのであった。

自分が予期して、楯隔てをすれば、人もまた必ずそのようにするという理がわかったのである。

対人恐怖症克服日記第五十三日・・・外来患者の診察で、「思想的に諦めるのでなく、事実に即することによって実際に諦めるがよい」ということの意味を、いろいろな例によって、お話があった。

「苦痛や煩悶の突破」ということについては、富士登山の剛力の例をとられた。

剛力でも、毎年、山開きの初頭は、脚が痛くて、便所でもしゃがめないくらいである。

それを職業柄、休むこともできず、つづいて登山をやっているうちに、自ら身体のかけ引きのコツを覚えて、後には痛みもなくなり、つづいて働くことができるようになるとのことである。

対人恐怖症克服日記第五十四日(十二月十六日)・・・午後、植木に使う肥料土の篩分けを、先生と共にやった。

大分寒いのに、先に立って働かれる先生のお姿が尊かった。

先生の注意と手先とは、常に暇なく、四方に働いていられる緊張の態度が、最もよく理解された。

自分らが、たんに土と篩とのみに注意している間に、先生は、随分広い範囲に、注意が向けられるのである。

対人恐怖症克服日記第五十七日・・・先生の著書を読んだ。

入院前に、理屈一点張りで、解し得なかったところが、どんどん理解できる嬉しさ。

そして宗教も信仰も、別に求める心持ちはなくなった。

事実を体得するところに、信仰もあり宗教も含まれている。

生の欲望に乗りきるところには、後押しとしての宗教や信仰は、ことさら要しないのである。

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著