劣等だから人より以上に努める

重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第六十三日・・・弟に、手紙を出す。

病覚に捉われている間は、しきりに弟に対して、なにゆえに自分に同情してくれないかと不満に思った。

そして弟の良い点を見て、自分は、どうして弟に劣るか、と嫉妬していたが、今過去を振り返ってみれば、神経質の自己中心主義から、弟にいかばかりか迷惑をかけていたか、と思うと、しみじみと気の毒になった。

六年間の病苦、ただ自分の苦痛のみを大事にしたため、弟はいかほどの苦しみをしたか。

学校のこと、家事上のことすべては、自分の苦しみを逃げるために、弟の負担に任せた。

人の家を訪問するのがいやで、弟に行ってもらった。

今日の手紙が、弟に対する真の兄としての第一信である。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)日記第六十四日・・・起床四時四十分。

すぐ道路に出てみて、まだどこの家も起きていない様子を見て、子供のような優越感を感ずる。

道路掃除、炊飯、読書。「神経質」雑誌を放送して、郵便局へ運ぶ。

自分で荷車を引いて行く。

この様子を写真にとっておけばよい、といわれたが、実際変わった格好である。

新調の洋服さえも、人がどう思うかと考えて、着ることのできなかった昔を思うと、自分の心の変化の大きなことに驚かざるを得ない。

午後散髪。

床屋と世間話をした。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は以前は、他人があのようにすらすらと本を読み、楽に勉強しているのが、不思議でならなかったが、今は、他人も、そのような時は苦しいということがわかる。

そして自分は、頭が悪いから、人の二倍勉強すればよいのである。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は以前は、すべて心配することをいけないと思い、これを病的と考えたが、今は、そんな考えは全くない。

車を引けば、ぶつからないか、とハラハラする。

町を通れば、恥かしくもある。

以前ならば、わざと大胆ぶって、無茶苦茶に引き回したであろう。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第六十五日・・・二階の屋根に登って、日除けを造る。

案外、容易に仕事ができた。

何でもぶつかってやってみれば相当のことができる。

大工でも屋根屋でもできる。

今日は、先生が患者を集めて、いろいろなお話の後に、自分が入院前に先生にお送りした手紙を示して、ご教示下さった。

今から考えると、夢のようである。

あのようにどうしてもやめられなかった警句や、長い手紙のことを振り返ってみると、おかしくなると同時に、神経質が、人の迷惑を考えない自己中心主義であるということが、よくわかる。

今までならば、多くの人の前で、あのように自分の弱点をさらけ出すことは、とてもできないことであった。

今日は実際、他の人々の参考になることならば、進んで自己の過去をさらけ出してもよいと思うようになった。・・・

重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記への森田正馬の回答『これが、自然の純な心から湧き出ずる繊悔の心境、犠牲心である。

決して理想主義や道徳心から出発したものでなく、純情から出るところで、けっして偽善でないところが面白い。』

夜、大学前まで、本を買いに行く。

学校の課目に関係した「マーシャル研究」を買う。

小説を枕読していた昔が、おかしい。・・・

重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第六十六日・・・起床四時半。炊事。後、郵便局の帰りに、昼食の材料を買い入れる。

「三田評論」を読む。忙しい中で読書した方が、かえって能率が上がる。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は夕食後、兄が来て、ともに親戚の家に行く。

以前は、何か話をしようしようとあせったが今日は自分をえらく見せようとかする気は少しも起こらず、落ち着いて、話ができた。・・・

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著