見栄ばかりを自覚する

重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第四十六日・・・今日、先生が患者に対するお話の要点は、「自分は、見栄を張っているものである、ということを自覚すればよい。

自分の心の事実をありのままにみればよい。

自己弁護をするのが一番いけない。」

「強がろう、元気を出そうとするから、反対になる。

カラ元気を出す必要は、少しもない。

対人恐怖症は、恥かしいままであればよい。

ここの療法の体験でいえば、朝起きるのに、少しも奮発はいらない。

いつのまにか、自然に早起きするようになっている」

というお話は、自分の近頃の朝の目覚め方を考えて、よくわかった。

「幽霊がこわいということは、感情の事実であって、これをこわくないように治す必要はない」というお話は、今まで不可能のことを何とかして可能にしようと苦悩したこと、「天気が悪ければ、うっとうしく気持ちが悪い。

これをどうすることもできない。

対人恐怖症も心臓の発作も、この後も、いつ起こるかわからない。

起こっても構わない」ということが、よくわかった。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は以前は、焦ったり、気がイライラすることを病的と考えていたが、近頃は、それが当然であることがわかってきた。

ものを買いに行くのに、急いで行くとどうしてこのように落ち着かないか、と考えたが、今は、忙しい時は忙しい、ということがわかる。・・・

重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第四十七日・・・夕方、先生に従って、金魚を買いに行く。

近頃、はじめて乗合自動車に乗った。

平気で外が眺められた。

今までは、人にみられるのが恐ろしくて、顔の向けようがなかったが、今日は、降りて後に、自分が随分変わっていることに気がついた。

金魚屋を探すことも、以前にはとてもできなかったが、今日は、自分で知らない間に、尋ねて行った。・・・

重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第五十日・・・「自分の醜いことを人に見せて、不快を感じさせるのは罪悪である」ということは、実に利他主義でも何でもなく、自分という我に捉われた自己中心主義である、ということが、よくわかった。・・・

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著