ものそのものになる
重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第三十四日・・・先生と一緒に、木材を買いに行く。
帰りには、荷車に積んで、自分が引っ張って来た。
人の引くのを見ると楽なようだが、実際に当たってみると、足が宙に浮いて、なかなかうまくいかない。
・・・夕方、重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者の兄夫婦が来てくれて、久し振りに面会した。
非常に元気になったと喜んでくれた。
義姉には、以前には声が出なかったが、今日は、伏目のままで楽に会話ができた。
以前には、話そうと思うと、胸を突き上げられるような気がしたが、今日は何ともなかった。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第三十六日・・・夕食後、散髪に行く。
前には、床屋で、何分に刈りますかと問われて、鼓動がしたが、今日は平気で受け答えした。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第三十七日・・・今日は、雨が降っても、そこらにころがっている仕事は、自然に手が出た。
近頃はよく怪我をするが、何も薬をつけないで、すぐ治る。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第三十九日・・・郵便局へ、本を読みながら行った。『フォードの事業』を読む。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は夜、先生が中村さんに話されるのを聞いた。
神経質者が自分の病を誇張していうのは、人から自分を大事に扱われ、同情を要求するがための、自己中心的なことである。
中村さんが、家にいた時は寝ていて起きられなかったものが、とにかく、現在起きて働いているという事実を、一つ一つ認めていかなければならない、と言うお話は、よく分かった。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者自身も、以前よりは声の出るようになった事実、外出のできるようになった事実をみとめないで、まだよくならない、ならないと、欲張っている、ということがわかった。・・・
重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第四十一日(七月一日)・・・米屋へ電話を掛けた。
こんなに巧く電話をかけたのは、はじめてである。
何の考えもなしにかけられた。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は午後、隣接の空き地に、木片や何かが散らばっているのを、先生も一緒に、皆とともに集めて風呂の焚物にする。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は先生と一緒に材木屋に行く途中にも、先生からお話があった。
塵を集める時は、屑屋の気持ちである。
お使いに行く時は、小僧の心持ちである。
その時々に、心は万境に従って転じて行けば、そこに強迫観念はない、ということから、常にものそのものにならなければならない、ということについて、道傍の材木を示されて先生は、広い板が日に当たっているのを見れば、これが曲ってそり返りはしないか、と気になる。
ものそのものになれば、他人のものと、わがものとの区別はない。
すべて無駄になるものは惜しく、捨てたものはもったいない、というふうになる、とかいうことであった。・・・
※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著