治そうとすれば治らない

(重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者の入院第二十三日から、読書、外出を許した。)

重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第二十四日:・・・午前中は、大工の手伝いをした。

・・・午後、患者さんに頼まれて、薬屋へ薬を取りに行く。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は汚い洋服を着ていたが、久し振りの電車通りへ出て、気持ちがよかった。

今日は思い切り声が出た。

以前には、とてもこんなところで、大声で人を呼ぶことはできなかった。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第二十五日・・・郵便局に、先生の書留郵便を出しに行った。

患者さんから、たくさんに買い物を頼まれて、これを順序良く、買うことができた。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第二十六日・・・薬取りの帰りに、郵便局へ、人に頼まれた為替を取りに行く。

楽に応対ができた。

以前には、話すことを考えながら行ったが、今日は、何の考えもなくできた。

今日、自分が炊いたご飯は、先生がおいしいとおっしゃったそうで嬉しかった。

台所でその話を聴いて、早速おヒツのところへ飛んで行って、ご飯を味わった。

・・・今日、先生が外来患者に対して、病を治そうとする気のある間は治らない、というお話をうかがった。・・・

重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第二十八日・・・先生と、温灸の実験をする。
久し振りで温灸をしたが、先年、夢中になってやったことが可笑しくなった。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第三十日・・・先生が、鍬を研ぎながら、お話し下さった。「この気合を飲み込まなければならない。

この落ち着いた態度を。

画家の絵を書くところを見ても、その一筆をも、決して心なく下すのではない」といわれた。

自分達が研ぐ時は、ただ磨き光らせるだけである。

先生のは、刃の角度を静かに観察されながら、刃の鋭くなる具合を見られるのである。

特にここでは、ただいたずらに動いても、病気の治る仕事というものは一つもない。

単に運動のための仕事ならば、棒を振るとか、腹式呼吸をやるとかすれば、かえって仕事のふりをする、いたずらごとがなくてよい、ということが、感銘深かった。

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著