重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日誌の書き抜き
重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記起床第二日:落ち葉拾いをしながらも、人の咳払い、他人の談話、すべてが自分のことを笑っているように思える。
人を嫌悪する気持ちが、昨日よりもはなはだしかった。
落ち葉拾いは、少しも気乗りがしなかったが、嫌でも応でもしなければならないと、ほとんど休みなしにやった。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第三日(四月一日)・・・ここへ来て、かえって人をにらむようになったので悲観する。
今日は、何もすることがなかった。
まるで精神病院へ閉じ込められているような気持ちだ。
退院しようかと迷う。
・・・午後、人が自分を避けていくように思えて、仕方がなかった。
実際、僕に会う人が、すべて横道へそれて行く。
そんなに自分の目と顔とが凄いのか、と思って悲観する、ただかがんでいればよいと思って、家の土台や温室のガラス戸についている泥を取って歩いた。・・・
重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第四日:道路を通る人の視線を、パッとにらんでしまう。
なるべく門を見ないようにする。
警句が時々飛び出す。
何だか先生の療法が信じられないような気がして、いっそ飛び出してしまおうと考える。
やはり家で、一所懸命に勉強した方が、かえって強迫観念など飛んでしまうかもしれない。
先生に理由をいって、退院しようと思い、トランクに荷物をこしらえた。
しかし、いざ話そうとして歩き出すと、鼓動が烈しくなって、声が震えてくる。
門のところで、ちょっと声の試験をしてみたが、何だか声が、咽頭にかすれてしまった。
仕方がないから、退院は明日まで待とうと考えた。・・・
重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記への森田正馬の回答『女中にでも、誰にでも、ことわって退院してもよい。』
・・・夜、患者を集めて、先生から対人恐怖症のお話があった。
嫌でも恥ずかしくとも、やり抜こうという勇気が出た。
治すのが目的でなく、ただ、働き抜こうと考えた。
・・・入院以来、今日まで、人に見られる不快、治るか否かの煩悶、にらむことの心配、今まで経験したことのない深刻なものであった。・・・
重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記への森田正馬の回答『四十日の試みである。迷うも決心するもただ四十日間である。』
重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第五日:・・・今日一日もまた不安かと心配する。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記への森田正馬の回答『自分の不安そのものを気にするのでなく、何がいかに不安になるかを順々に追求してゆけばよい。』
・・・昨夜の先生のお話のように、強いて人を見ようとせず、努めて伏目でいたので、非常に落ち着いた。
いつもより、かえって人と楽に話ができた。
昨夜想像した時はどんなに不愉快だろうと思ったが、実際には、非常に楽であった。・・・
重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記への森田正馬の回答『これを一週間、徹底的に実行すれば、容易に会得できる。』
重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第九日:・・・先生は、今日のようにどうしてドンドン批評して下さらないのかと思う。
仕事をして、適切な批評がなければ、すべての仕事が無意味のように思う。・・・
この日、重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は、他の患者の忠告をも耳にせず、無断で退院した。
※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著