16.取り越し苦労をすること。

他人にノートを貸せば、失いはしないかと思い、他人にものを聞きたい時、教えてくれないのではないかと心配になって問うこともできず、温灸の器械を買った時にも、温灸院長が死ぬようなことがありはしないかと考えては、モグサを一時にたくさん買い込んだこともある。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は電車で乗り越して、車掌に名前を書きとめられた時は、そのために学校が除名になりはしないかと心配し、もしその時は、文学者になろうか、小説家になろうかなど、数日間、真面目に考えたこともある。

そんな時には、毎日警句ばかりを作っている。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は学校で教師が休んで、学生が帰ってしまっても、それが不安心で、自分で教室に行って確かめなければならない。

本を注文しても、絶版になっていないかと、その本の来るまで、その考えが意識を去らない。

洋服を注文しても、何かの間違いがありはしないかと気になり、途中に何があってもわからないことがある。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は近頃、特にものの音がガンガン耳に響くようになり、人が自分を笑っているような気がし、停車場の待合室の前を通っても、中の人が自分の噂をしているようで、つい見返ってしまう。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者はその頃、一人の友人がかつて森田正馬先生の診察を受けたことを聞き、その時に森田正馬先生から、このくらいの病気は大丈夫だといわれ、一度の診察で治ってしまった、とのことである。

それなら自分もそのように軽く診断されて、一生治らないようになりはしないかと、そのことがきになって、長い日数、不安がつづいた。

17.同一観念の固着。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は何か感動のことがあると、このことばかり、絶えず意識から離れない。

不眠の起こった時は、四六時中、心の中でフミンフミンと独り言をいっていることが、二、三カ月も続いたことがある。

また、重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は〇浜の注射を受けて、ある時、注射が一本抜けた時、その薬のノイロと言う名が、一ヵ月あまり繰り返された。

こんなことは入浴や食事中でも、絶えず独語のように心の中で思っている。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は最近の例では、昨年の夏、悟り悟りということが心から去らず、秋には警句警句ということが繰り返された。

近頃は大体、半月くらいつづいて、また異なったのが現れてくる。

18.自殺念慮

重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者の日記中に「俺は、死にたくできてる人間かも知れぬ。

今までに、死を決したことが何度あるか。

逗子にて、昭和三年夏、同四年一月。同五年二月、カルモチンを飲む。

昭和六年、七年、八年、二、三、四。現在。」とあり、重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者のある日の日記には、「僕は今自殺します。

おそらく数時間の後には、早やこの世の人ではないでしょう。

永久に、この世に別れます。

すべてのことは、青いノートから見て下さい。

あれが僕の一生です。

この家の一生です。

死に直面して、割合に冷静です。

さらば、天上の花園に私は旅立ちます。

さらばさらば」

「ああ、とうとう駄目だった。

彼奴が見ていたので、自殺する機会がなかった。

また一日、この世の息をするんだ。

皆整理してあるから、思い残すところはないんだ」などとある。

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著