6.人に見られるのを気にすること。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は人と対座するとき、または汽車、電車の中で、常に人に見られるように思い、顔がこわばり、口の周りがしぼむような気がする。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は学校に行くのに、八時頃の汽車は混雑するため、十時頃の空いた汽車に乗り、座席はなるべく前か後か、人と向き合わない所へ取る。ステーションへ行く道で、女学生にたくさん会わなければならないので、わざわざ回り道して、表口の方から入る。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者はこの道で女学生に会う時は、目がにじみ、口が曲がり、女学生が皆笑っているように思われる。
学校では、クラス会にも出席したことはない。
7.人をにらむこと。(視線恐怖)
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者がニ十三歳の三月、試験後、友人の話し中、友人が自分の視線を、ことさらに避けているのに気がつき、自分がにらむのではないかと考えた。
その後、常にそのことばかり気にかかり、ある時は、試みに親友を訪問して話した後、やはり友人が、まぶしいように横向いた。
以来いかにすればにらむことが治るか、ということに熱中し、自分の眼球がくぼみ、肉が落ちているからにらむことと考え、ベネット式運動中、眼瞼を摩擦することを毎日実行したけれども、効果はなかった。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者はこの頃、にらまないではなしのできたものは、一人の弟と、一番親しい学友一人だけであった。
特に父に対する恐怖はなはだしく、廊下などでは、自分は常に窓外に向かいて話をなし、父の感情を害していた。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は最近には、兄夫妻と話していた時、義姉が自分の視線を、手でまぶしそうにさけるので、兄から「もっと目をやさしくしなさい」といわれたこともある。
これまでは「根治法」によって、自分で治せるものと思っていたがただ警句が増すばかりで、兄のいうように、温かにせよ、といっても、何ともしようがない。
この時、自分独りだけ、天井を向いて話をした。
実際に、視線をどこへ持っていってよいかわからない。
人の話し合っているところを見れば、どうしてあのようによく視線の転換ができるかと思われる。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者はにらむということを忘れるために、学校を三週間ばかり休み、家に閉じこもっていたこともあるけれども、治らない。
視線のうちに入ってくるもの、すべてをにらむような気がし、視線が一カ所に固定してしまうような気がする。
多数の人と話さなければならない時は、誰が何と言おうが、天井ばかりを見て、人形のように一カ所ばかりを見詰めている。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は小学校の時、唱歌の先生から、人の顔ばかりにらみつけるといっておこられたことがある。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は道を歩いていて、約100mくらい先の人でも、にらんでしまう。
それで伏目にすると、相手の人が近づくにつれて、口の回りがゆがむような気がする。
8.泣き声となり、声が震えること。
これは小児の時からもあった。
中学時代から、人と話す時、胸騒ぎがして、声が震える。
自分の声のように思われない。
しかし、弟と話す時は、大声が出る。
泣き声だといって、人から笑われる。
学校で、出席の返事でも、大きな声を出そうと努めるほど、なおさら小さい声になる。
皆から、腹の力の抜けた声だ、といわれる。
お正月に、おめでとうというと、声が震える。
それなのにまた一方には、社交的でなくてはいけないと考えて、非常に大きな声で、無茶苦茶にしゃべることがあり、後に節度のないことを悔いることがある。
9.人の顔が覚えられないこと。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者が中学四年頃から起こる。
人に会って、見たような顔だと思って、後で知人であったかどうかということが気にかかる。
ごく親しい人でも、不意に電車の中などで見ると、知人かどうかということが疑われる。
10.脱帽のできないこと
向こうの人が礼をするのを待っているうちに、その人が行き過ぎてしまうので、脱帽して、礼をすることができない。
自分でしようししようと思いながら、どうしてもできない。
ちょうどにらむ時の心理状態と同様である。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は学校で、友人に欠礼すると、終日、そのことが気になり、すぐその名前を書きとめて、翌日礼をしなければ気が済まない。
また自分が欠礼したことが気になると、教室へ入って来る人々が、どのようにお辞儀をしあうかを検査する。
そして必ずしも、すべての人にお辞儀するのでなく、知人でも欠礼することがある、とわかると、「他人皆礼するに非ず。見合った時のみ礼可」と警句を書きつける。
それでも、自分が礼をしないことがひどく非社交的に思われ、他人が自分に口をきかないのは、そのためであると考える。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は予科へ入学しての最初の苦痛は、教室へどのように入り、どうしてお辞儀をするかが気になり、学校を休んだこともある。
※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著