現在症
1.赤面恐怖症。
十四歳頃から、全ての人に対して現われ、十九歳頃から、特に女に会えば、赤面と同時に、顔から汗がポタリポタリと落ちるほど出る。
話し相手が未知の人で、教師であれば、脇の下から先に汗が出る。
デパートメントに行けば、女店員から視線を集中されているようで、汗をかき通しである。
七、八歳の女児にでも、汗が出る。
2.不眠症。
これは強迫観念のために起こり、十九歳からの不眠は、雑誌の記事からの暗示から起こった。
現在は、不眠が時々起こり、多夢がある。
3.耳鳴
両耳にあって、ジーットという音、十九歳の秋頃からおこり、〇浜注射で一時治っただけで、今日に続いている。
人と話を止めた時、就寝時、思考時、読書時などに現れる。
はなはだしい時は、電車の騒音中でも聴こえる。
就寝時は、これが眠りの障害になる。
4.傍の見えること(脇見恐怖)
学校で、たとえば隣の人に小刀を貸せば、自分が前を向いていてもその人が見えて、気にかかって困る。
これは二十歳頃から現われ、最も恐怖することは、車中で、女の顔が自分の方へ向いているように感じられ、またその人の着物の色が強く目について仕方がない。
机に向けば、傍の本が邪魔になり、これをのける。
するとまた、鉛筆が邪魔になり、これをのける。
次には、机の上のもの、すべてを片付けて、それで気がすまず、今片付けた本が気になり、本箱を直す。
このようにして、少しも勉強ができない。
5.警句症。
自分でつけた言葉で、標語もしくは符牒を書きつけて、自分の行いの戒めにする、という意味である。
十六歳頃から始まり、「守戒」と小さな紙片に書きつけて、日夜これを見て、自ら戒めるのである。
「戒めを守れ」という意味である。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は二十歳頃から、「ex止」と書いて、机の上に貼り付けた。
性的興奮を止めようという意。
空妄止とは、空想妄念を起こすな、という意味である。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は人がスポーツをやれば、これを羨んで、自分もこれをやりたい欲望にかられては、まず自分を大胆にしてからとか、あるいは来年の春からとか考え「スポ」と書きつけて、これを見、また自分はスポーツができぬから、自彊術、ベネット(式運動法)、徒手体操から工夫して、「自体」と名づけて、これをやろうと念じた。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は、あるいは人が会話を練習しているところをみれば、自分もそれをやらねばならぬと考え、紙片なりノートなり、本の表紙なりに、このことを書きつけなければ気がすまない。
警句の種類は、修養に関することが多く、次には、身体を強くすること、社交に関すること等である。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は二十四歳以後は、「根治法」のうちから抜いたことが多く、「あるがまま」、「さとる」、「人見るに非ず、ただみらるる気するなり」とかいうことである。
最近は毎日、二十くらいの警句を作らない日はない。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者はこの警句を、ノートや雑誌などの切れ端に書いて、机上の籠の中に入れておけば、一学期の間には、これを原稿用紙に整理しても数十枚になる。
試験前には、これを整理してから勉強にかかろうと考え、なかなか勉強ができない。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は夜中、不意にこの警句が思い浮かぶと、これを書かずにいられず、飛び起きて机の前に行く。
最近は必ず枕下に紙と鉛筆とをおいて、暗闇の中でも書く。
鉛筆のない時は爪の先で書き、外出の途中では、煙草の箱に書いたり、共同便所の中で書いたりする。
また例えば、東京で警句が起こり、何も書くものがない時には、これを暗記しながら、横浜まで急いで帰って書きとめる。
入浴中の時は、風呂場の板へ水や石鹸や爪で書き、忘れないようにして、出て後、これを書きつける。
もしこれを忘れると、いつまでも気になって、考えださなければいられない。
重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者の警句の例をあげてみれば、次のようである。
「成り行きに任すこと」、「その時のこと」、「気弱きまま」、「他人の感情、どうにもならぬ。思われておれ」(皆「あるがまま」という事の意)
「人に使われよ」(学校にて、家庭教師入用の広告を見て、自分も人に使われて見なければダメとの意)
「見る、当たり前」(人の視線を恐怖する為、自分の眼がすごくなることを戒めて、普通の人はお互いに見合うことが当然である、との意)
「関係なき女性、赤くなる損なり」
「結局女一人なり」(自分の結婚する女は、一人であるから、関係ない女に赤面する必要なし、との意)
「目ある以上、見らるる当たり前なり」
「自分、背高し」(自分は、背が高いので、女に見られるはずはなしとの意)
「女も人なり」(男も同じ人間なり、赤面する要なし、との意)
※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著