およそ対人恐怖症患者は、自ら気の小さいはずかしがりやであると称して、しかも無遠慮で、人の迷惑を意としないという特徴がある。

治療に関して、問い合わせの手紙でも、はなはだ委しい長いものが多く、稀には郵税不足などもあって、重い手紙が来れば、また対人恐怖症か、と思うくらいのものである。

本例は、今までに見たもののうち、これらのことの最も著明なるものであった。

診察を受ける久しい前に、全部で七通の封書を送って来た。

はなはだ大部のもので、用箋に活版のような細字で、既往歴がニ十五枚、現在症が三十八枚、その他の日記の切り抜きや雑記、注意書など七十枚で総計百三十三枚である。

また七通のうちの二、三の封筒のうちには、対人恐怖症患者のいわゆる警句集と称するもので、ボール紙、巻煙草の箱片、瀬戸引きの板切れ、ハガキの切片、写真の裏、本の表紙、名刺、一、二寸ばかりの破った紙片などに、種々の符牒で書いたものを乱雑に入れたものもあって、一見、全く緊張病の濫書症を思わせるようなものまでも送って来た。

これを封書で、書留郵便で次々に送るから、郵便税もかなりの金額になるのである。

手紙のうちには、たとえば、遺伝歴に関して、同胞の処に1男、2女、3男、4僕、5男、6男、7男、「横浜の母は、僕のことを長男といい、弟を次男といって、母と僕との話が矛盾することがありますから、ちょっと申しておきます」というふうに、こんな些細なことまでもゆるがせにしない、という徹底さである。

現在、私がこれらのことを調べていることも、なかなかのもの好きでなければ一朝一夕には、調べつくしがたいものである。

患者は二十五歳で、某大学の一年生である。

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著