赤面恐怖克服

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記十七日:胃の具合が悪かったが、今朝は下痢になった。

構わず、アスパラガスの畑へ仕事にいった。

地中に深くもぐっている株を掘り取るのは、かなりの仕事である。

下痢をしたが、別に身体が疲れもしない。

飯も普通に食った。

婆さんとお鶴と私と、三人で仕事をした。

二人は××の妻君の批評を始めた。

一々例を挙げて、妻君は薄のろで、怒りっぽいのは、村で評判である。

ケチで朝寝で、アマ人望という点から見ては、ほとんど零であるそうだ。

私も一緒になって笑った。

日記をつける暇がない。

起きてから寝るまで、働き通しである。

ブラブラしていると、気持ちが悪い。

もう帰郷も近日中だ。

赤面恐怖ということはほとんど考えつかない。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記十八日:昨夜、下痢をして起きた。

朝早く起きて、前田へ麦蒔きに行った。

雪のように、霜が降った。

なかなか寒い。

太陽がまだ畑へ光を投げないうちから、畑を耕した。

日雇いの婆さんが手が痛いというから、見たら、手のひらの皮膚という皮膚が古い鰐皮のように割れて、中から紅い肉がのぞいている。

北風が、それにしみるのである。

気の毒でならなかった。

毛孔から油の出るほど美味いものを食って、遊んでいる人間があると思うと、こんな百姓女もある。

なぜだかわからないが、この婆さんのように、虐げられて生きているものの方が、真の人間らしく思われる。

私は半分、道楽同様に働いているが、この婆さんは死ぬために働いているようだ。

閣下、殿様で悠々としていきている人間も偉かろう。

しかしこの婆さんは、人類のどれだけの力であるか。

彼女自身も知らず、世の中の人も知らない。

生れてから、この村十里外へ出たこともなく、春が来れば麦を刈り、夏が来れば田の草をむしり、秋は米を取って、都へ送り出す手伝いをして、一生人類に捧げた功労を、誰もねぎらうものもなく、死んでいくのだ。

麦蒔きが始まった。

私は肥料係であった。

手についても、別に汚いと思わなかった。

下痢がまだ続いているから、体はヘトヘトに疲れた。

疲れることと苦しむことは、神様の下さったうちで、一番有難いものに違いない。

また××の妻君の悪口が始まった。

私は忘恩者ということを思い出して、口をきかなかった。

夕方、シャベルをかついで、野道を帰った。

枯れ木のような婆さんの後ろ姿を見ると、悲しくなる。

神には不公平はないはずだ。

「お前は、一生を食うことについやさなければならない。

病気になって死ぬ前の日まで、土を打っておれよ」と、

神は不幸を、

この人にくれたのだ。

夏の炎天と冬の氷とは、確かに苦痛だろう。

しかし神だって、この婆さんに、幸福はくれるはずだ。

疲労と空腹と放心とが、何より幸福であろう。

ある者は、怠慢と満腹と貧困とを幸福だと思って、喜んでいるだろう。

人生は、疲れる、苦しむことである。

それ以外に、何ものでもないだろう。

疲労と苦悩とが真の幸福である。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記への森田正馬の回答『疲労と苦痛とを苦労としないものが、幸福である。』

私は今朝、婆さんが痛いといって見せてくれた、土だらけの手のひらとそれをのぞきこんだ私の姿とを忘れることはできない。

友人の一人が、学校をやめて実業につく時、手紙をくれた。

その中に「人生とは、ただ働くものだ」と書いてあった。

事実にぶつかった時、人は真理を吐く。

机の上ででっち上げた真理は嫌である。

大きな声で、真理だ、芸術だ、宗教だと、騒ぎたてる必要はない。

神はこの婆さんのように、働く人、黙って神を礼拝する平凡人を、最も愛し給うであろう。

私は婆さんの丸い背を見ながら「平凡人の誇り」をつくづくと感じた。

私も平凡人になりおおせたいものである。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記十九日:朝は、相変わらず寒い。

昨夜も下痢で起きたから、体はひどく疲れている。

便は水のようになった。

減食して、麦畑を耕しに出た。

一鍬打ち込むも難儀であるが、せっかく今日で麦蒔きも終わるのだから、我慢をして働いた。

前田さんも、たって午後は休めというから、家に帰って寝た。

彩塵が実に鮮明である。

神経も過敏である。

これだけ疲れたのだから当たり前である。

時々赤面したが、何ともなかった。

身体も、これだけ強くなれば、申し分はなかろう。

先生のご指導によりまして、やっと、これまで漕ぎつけました。

私は文学を捨てて、商業学に向かうつもりであります。

父母や祖父母は、どんなに喜ぶことでしょう。

私は商人になることが淋しくあります。

あの婆さんのように、平凡に働いて、死ぬつもりです。

しかも私は、けっして神を一日でも捨てません。

無理に芸術を崇拝はしません。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記への森田正馬の回答『婆さんは、人生の模型です。最も単純に還元された標本です。

平凡というのは、奇警突飛でないということです。

しかもこの模型の中に、大人生を収めています。

「一寸の虫にも、五分の魂」というのと同じ意味です。

婆さんにも、愛もあります。

苦痛もあります。

お萩の餅をこしらえ、人にご馳走して、自慢もしましょう。

孫に綺麗な衣服をきせてやりたいのでしょう。

時々は神の名を呼ぶこともありましょう。

もし婆さんに五分の魂がなかったら、死ぬために働いているような有様にはなりません。

養育院の厄介者になります。

婆さんは、自ら知らずしらず、人類のために尽くしています。

人類の指導者であります。

婆さんの「自慢」は、君の対人恐怖症です。

婆さんの「孫に美衣」は、君の芸術であります。

人前で赤面しなければなりません。

客観的な婆さんと、主観的な婆さんとは全く違います。

学ぶところは、獲得すべきものは、外観平凡に見える婆さんの主観であります。

苦痛を苦痛とも思わず、努力しなければならないと奮闘するでもなく、何とも思わず、婆さんそのものが、努力そのものであります。

理屈ではない。

事実である。

このようである時、君の対人恐怖症は今や念頭を去り、君の芸術心の発動は君の商業、君の人生の上に現れて、婆さんのひび割れの底の紅い肉が深い印象を君に与えたように、社会の人類を済度せずにはいられません。

これが真の芸術であります。』

房州へ来てから、どれだけ頭が良くなったか、私にはわかりません。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記への森田正馬の回答『婆さんはどれだけ人生に尽くしているかを知りません。』

一ヵ月ほどの田園生活で得たのは、ただ、この日記一冊に過ぎません。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記への森田正馬の回答『婆さんの人生に獲得したものは、その鰐皮のように割れた手に過ぎません。』

この数日で帰郷しますが、私は何ものをも得なかったようです。

神経質が全快したとは思われませんが、別に悲しくも心配でもありません。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記への森田正馬の回答『これが全快です。何ものをも得なかったのが大きな賜であります。

もし君が予期した通り、人前で顔が赤面しなくならないようになったら、それは無恥堕落の人となり終わりましょう。

もし君がある芸術心を満足したならば、それは玩具の人形のようになったでもありましょう。

何ものをも得なかったために、君は大きな力を得ました。

それは君も知りません。

ただ、君の将来に、大きな豊富な人生が開けました。

ただ神が知っています。

ああ神は讃むべきかな。』

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著