凡人の自覚

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記十三日:先生は、おまえの価値はこのくらいだと一言も言わずに、私に私の価値を知らせて下さった。―何らの失望も伴わずに―私は英雄でも豪傑でもなかった。

純な弱い子どもだったのだ。

人生があって、芸術があるのだから、いかほど芸術を追い廻しても、人生に落第したら何になろう。

人生は愛によって、はじめて存在するのだ。

愛は親を愛することから始まる。

父母へ手紙を書かずにいられなくなって、長い長い手紙を書いた。

優しい父母と、手を取り合って新しい望みに向かって進むのである。

わたしは、あなたの望まれる通り、商業学を修めます。

私達は再び幸福になるでしょう。

病はすっかり治りました、と書いた。

父よ、ここまでこぎつけるには、どんなに苦しんだことだったでしょう。

先生は静かに、私をここまで連れてきて下さったのです。

神も私の心が従順になったのを喜んで、私達に限りない恵みを下さるのでしょう。

親と子が心から愛し合うより、美しいこと、幸福なことはないのです。

父は今夜きっと、私の夢を見るに違いない。

対人恐怖症などは、恐ろしくも何ともない。

気にならない。

私には、父と母とがある。

私には、師がある。

祖父母があり、
兄弟がある。

私はたまらなく、この人達が恋しい。

この人達も、皆私を愛してくれる。

私は、意志が弱くて親のいうままになったのではない。

私が親に反して、無理に文科へ行った時の苦悩と妥協して、商科へ行くのではない。

なんといってよいか分からない。

要するに仮面が取れて、親に対する愛の方が、芸術を憧情するよりも強いからである。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記十四日:私の隣室へ、客が一人来た。四十四、五に見える丈の低い青白い顔の男だ。

丸い猫背やドングリ眼を見ると、病があるに違いない。

午後になったら、熱でも出たらしく、苦しがっていた。

ゴホンゴホンと咳をする。

夜、前田へ行ったら、主人が驚いて「弱った奴が来た」といった。

そして肺病患者ということにした。

私は何とも思わなかったが、彼は大変心配して、伝染しては大変だ。

話しをしてはいけない。

食物を貰ってはならない。

その人が湯に入ったら、けっして湯に入ってはいけない。

構わず、一番先へ入ってしまえ。

同じ洗面器では危険だから、毎朝そっと知れないように、私のところへ洗いに来いなどと仰山な注意をしてくれた。

そして肺病患者の例を引いて、恐ろしいことばかり話してくれた。

私も薄気味悪くなった。

夜遅く帰ったら、隣室から寝息が聴こえる。

恐ろしくなった。

あのドングリ眼の青白い顔の上に、死神がじっとかがんでいるのではなかろうか。

私の母は肺病で死んだのだから、私にも遺伝がありはしまいか。

そしてあの男の肺を洗った空気が、欄間から、私の部屋へ流れ込むだろう。

小刻みに息を吸えば大丈夫だろう。

そのうちに胸が苦しくなってきたから、あわてて床へ潜り込んだ。

隣室の男の顔を想い出した。

声をあげて、神に祈りを上げた。

が、なかなかに眠られない。

前田さんがあんなことをいわなければ、私もこんなに恐ろしくなりはしなかったろうに。

父から、英語の練習にとて、英字新聞を送ってきたから、午後の暇に読んだ。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記十五日:隣室の仮定の肺病患者の使った洗面器は危険だから、前田へ顔を洗いに行った。

中村屋へ帰って、朝飯を炊いた。

早く帰郷して、婆さんの支度してくれる、温かい飯を食いたいものだ。

二十三日に弟が来るそうだが、それまで待つのが嫌になった。

下痢が始まった。

隣人も下痢をした。

オヤオヤと思った。

午後の曇った畑で、お鶴と主人とが、ねぎに肥料をやっていた。

ねぎの緑が、気持ちの悪い色だった。

生垣の向こうを白豚が通った。

かみさんと子供と二人で、鞭で打ったり、芋を見せたりして、愚かな肥えた動物を連れて行った。

ブタはなかなか歩かない。

主人は、突然こんなことを言った。「良い馬だって、歩かなければ一丁だっていけません。

あんな豚だって一生懸命になれば、次の村までいけるんです。」

やがて遇鈍な獣は、村角を曲がった。

「だけれど前田さん、豚は誰かがひっぱたいたり、押したり、芋でつらなくては、一間も進めないんです。」

私も何だか、自分が豚のような気がした。

晩飯は食わずに、旧約全書を読んだ。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記十六日:昨夜、食わなかったから、腹が減ってたまらない。

そしてなかなか水が冷たい。

飯を炊くのが嫌になったから、前田へ行ってご馳走になった。

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著