苦痛を客観的に見る

家庭の都合で退院した。

その後は、日記で指導することにした。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記第二十一日:家に帰っても、今までの心持ちを変えてはならぬ。

亜鈴体操とか散歩とか、治療ということに捉われてはならない。

心をあくまでも自然に持たなければ、またもとに戻ってしまう・・・と懇々とお話してくだされた。

感謝と歓喜との念に満ちて、電車に乗った。

心が非常に静寂だった。

以前のように、カッとなりはしなかった。

家の近くに来た時、私は一散に走った。

早く家へ飛び込んで、笑って見たくなった。

先生のところを出る時には、身体から力が抜けてしまいそうな気がしたのであった。

実に帰ると、家は狭くて穢い。「コリャ大変だ。ウント仕事があるわい」とつくづく驚いた。

先生の言葉を思い出して、感服した。

家の人たちは、実に陰気である。

私一人大声でしゃべった。

以前は、一番沈黙していた。

そして以前、この家から湧き出してくる苛々した、怒りに似た感情を想い出した。

父母からして、やはり私を了解していないのではないかと疑った。

そして明るい先生のところが恋しくなった。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『他の了解を要求するから、卑怯であり、人の目を恐れる。』

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記十月二十一日:昨夜まで家内に漂っていた陰惨な空気は、サラリと取れた。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『夜が明けたから。』

三週間ぶりに雛の世話をする。

以前の苦悩を想い出して、いかに私が人間らしくなってきたかを痛感する。

・・・どういう気持ちで仕事をしたかと、今、回想しても想い出せない。

ただ穢いから掃除して、箱が破れているから釘を打った。

別に特別な感じは、なかったらしい。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『これが健康である。仕事の三昧である。』

夜Kさんを訪問した。

三、四ヵ月ほど前に行って、赤面し、天ぷらが喉へ通らず、涙の流れた思い出のある家である。

はじめのうちは顔が熱かったが、先生から「自分の苦痛は、人に打ち明けよ」といわれたままに、赤面恐怖のことを細々と話した。

突然、心が風船玉のように軽くなった。

全然苦痛がなくなった。

赤面恐怖の話を弄ぶようにして、愉快に話した。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『自分の苦痛を客観的に取り扱うようになればよい。

歌、文章、心理的研究、皆それである。』

数年来、真の愉快を味わった。

はじめて心から笑った。

心を苦しめ抜いた鎖がとれた。

実にありがたい。

私は、どれだけ先生に感謝してよいか。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『喜びにはまた、苦痛の反動がある。この喜びがありがたいのではない。この主観を離れ、先生を思わなくなった時、真の健康なる独立心ができる。』

三時間も話して、家を辞した。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記九月頃、もし治る見込みがなかったならばと、自殺の決心をしたことを想い出す。

世界が変わった。

涙ぐましい。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記二十二日:恐怖に対する自信が、八分通りできた。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『心で、その同じ心を測量することは、少しも当てにならない。』

以前の苦悩は、回想ができない。

電車に乗りたくなって、先生のところへ出かける。

ちょうど、はじめて自転車に乗れるようになると、無暗に方々乗り回したくなるようなものだ。

私の隣に若い女が腰かけたが、心臓は少しも変化しない。

もう人間並みになるぞ。

思う存分、芸術の道に進める、書物が読めるぞと思うと、知らない人々の顔が、皆私に好意を持ち始める。

・・・あの憎々しかった群衆の顔が。

先生のところで、中村さんと、病気についてお話しした。

何ともない。

以前には、唇が震えて、話が喉に引っかかってしまったのだ。

全然不治の病の私が、わずか三週間で、ケロリと治ったのだから、先生も非常に喜ばれた。・・・

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記二十三日:食事の時は、ただ熱いような気がした。

前には明るい電燈の下で、家族と顔を合わせると、何ともいえない苦しさを感じた。

家族といっても、弟と祖父母だけである。・・・残像や、銀色の粉の飛び回るのを見ると、まだ全快しないと悲しむ。

しかしこれは、一瞬の閃きに過ぎない。・・・

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記二十五日:帝展へ行った。電車は往復共に、赤面しなかった。・・・

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記二十六日:弟と共に、亀井戸天満宮へ行った。

餅屋へ入った。

弟が私の顔を気にしているのではないかと不安になる。

金を払う時、妙にあわててしまった。

後で考えたら、金を余計払って残念だった。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記二十八日:・・・仕事は、掃除と読書だけである。

感情はズッと鈍くなった。

赤面と頭のハッキリしないのを苦にした。

自然のままに苦にした。

先生が、この一週間が大切だといわれたことを思い出した。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記三十日:今日こそ、先生の宅へ行かねば、我慢ができなくなった。

電車に乗るのは厭だった。

乗ったら火照ってきた。

恐ろしくはない。

悲しい。

このままだったら、私の未来は、暗黒だろう。

先生の家に着くと、夜が明けたような感がある。

何でもやって見せる、という勢いが出る。

君の病に対する今の自信は、皆君のではなく、私の自信である。

私からはなれなければならぬ。

今ウント心配し、恐怖するがよい。

やり抜けばよくなる。

ウツラウツラとしてはいけないなどと先生にいわれた。

夜は先生と一緒に講演会へ行った。

先生と一緒のためか、恐怖はなかった。

講演はよくわかった。・・・家へ帰った。

この部屋には、私の恐れと、自棄な悲しみとが憑いている。・・・

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記三十一日:十二時まで、家の掃除をした。

今日は油が乗った。しかし老人に不愛想をいわれると、癪にさわる。

不孝な話だ。

・・・残像や彩塵は、誰にもあることで、ただそれによく気のつくと否との差である、と先生は言われる。

これを消すには、どうすればよいか。

すなわち残像が気にならなくなればよい。

今日のように強烈になってきた道を逆に行けばよい。

ウント気にし、ウント恐ろしがれ。

例の簡単な方法である。

やり抜くことである。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『残像等に対しては、今少し自らこれを研究詮索すること。

すなわちどんな場合、どんな形、持続時間、色彩等を研究するがよい。』

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記十一月一日:この頃は、病気以外に、心を苦しめるものが現われてきた。

しばらく遠ざかっていた「人生」である。

思想の苦しみは、病の苦悩に比して、まだ余裕がある。

病の苦悩ほど、セッパつまっていない。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『病の苦悩も、これを思想化し、さらにこれを客観的にすれば良い。』

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記二日:明日、房州へ天地療法をやることになった。

何となく、私の運命の定まってしまうように思われてならない。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『予期不安』

先生を訪ねたら、信州へ行って、お留守だ。

自分で迷ってしまった。

先生に会えなかったのが、何より心残りだ。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記三日:(房州行)電車からおりて、ボロ蒸気船に乗った。

狂いそうな苛々した感情の持って行き所がない。

汽船のこきざみにふるえる音が、腹立たしい。

・・・幸い、空が晴れて、段々気が大きくなった。

・・・やっと目的の家に着いた時、私の心は、ダメだ駄目だと叫んだ。

ここの人々は、私に少しの交渉もない。

私の頭がよかろうがどうなろうが、少しも心配はしない。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『依頼心は病の敵である。』

・・・これから一ヵ月、百姓らしい生活をする。

悪ければ帰って、先生にかじりつくまでだ。

夜海岸へ行った。

少しも休まず、浪は寄せて、音を立てている。

一体、何の目的あって、浪は永遠に、同じことを繰り返すのか。

何のために天があり、地があるのか。

どうせ人間は小さいのだ。

こんな人間の一人が、赤面したり、恐怖したところで、ゼロに等しい。

何という愚かだろう。

浪は海の底から、怪しい音を持ってくる。「何もかも棄てて、この青い海の中に隠れてしまえ」と、わたしの心はささやいている。

九時過ぎ床についた。

突然いやな心配が起こった。

「もし寝小便をしたらどうだろう。」

なかなか眠れなかった。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記四日:・・・「医者が、ブラブラしてはいけない。セッセと仕事しなければならぬといった」と話してみても、「石臼をゴロゴロ廻しては、脳へ響くから、よしなさい」といって、なかなか了解してくれない。

軒を打つ雨垂れが幽霊でも出そうな陰気な音を立てる。

堪らなく淋しくなった。

・・・なおこんなところへやって来て、自ら生きようとする執着の強烈なのに驚く。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『執着の強い者は、自ら執着を感じない』

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記六日:・・・主人と、お茶を飲みながら話す。

一所懸命で、私の病を了解させようとした。

「頭の痛みや、ポっとするのは、医者のところで治った。

それから、人の中へ出たりすると、こう・・・。」

私は恐怖するとはいえなかった。

「逆上するんですな・・・まあ恐ろしいのです。」

「恐ろしいと言って、だれもあなたを、どうもしないじゃありませんか。」

「いやその感じだけなのです。」

「身体をこわすと申訳がない」といって、なかなか「畑へ出ておやりなさい」といってくれない。

・・・夕飯まで働いて、かなり疲れた。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記七日:今日は素晴らしく元気である。

気軽に、冗談もいえるようになった。

・・・畑のウネを二つ作って、大根の種を播いた。

また雑草取りをやった。

長い間、何事もしなかった私は、いかにそれを、神に対して恥じたことであろう。

今、私は自然の子だ。

自然に対して働いている。

それが生活なのだ。やがて心も充分に働かせる。

今まで、他人に対して今日ほど間断なしに接することはなかった。

仕事をしながら、私がもし先生の診察を受けずにここへ来たら、その結果はどうであろうと思って、慄然とした。

毎日ビクビクしながら、冷水摩擦や散歩をして、何の得るところもなかったろう。

・・・時々恐怖が、意識の一端をズッと過ぎることがある。

なんだか薄い仮面様のものが心にくっついて、それがはげさえすれは、赤面も残像も、何もかもなくなるように思われる。

・・・今朝は、下痢をした。

下痢の時は食を断つべし、といわれたが、今は一杯もすくなくすることはできかねる。

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著