元気と思うのも本当ではない
対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記第十九日:・・・先生は言われた。
君はこの頃、自分の健康を忘れていた。
健康と思い、病と思う、共に病のしるしである。
前には君は、治療のつもりで仕事をしていたが、この頃、働きたいから働いている。
これが真の生活の湧き出でるところである。
・・・私は今のところ、ただ赤面するので悲しいばかりである。
恐怖ではない。
先生の厚い情を有難いと思う。
私は一層、勇気を出し精進し、神から与えられた力の限りを発揮させようと思う。
私は背後に、ある力強さを覚える。
夜は茶の間で、皆の人と世間話で、腹を抱えて笑いこけた。
対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記第二十日:坊ちゃんの運動会で、先生と三人で、電車で行った。
何ともなかった。
飛鳥山で大勢の生徒の群の中でも、赤くならない。
彼等は皆聖いから、私の穢い心を直視しない。
青年は、私と同じように穢れている。
帰りに床屋によった。
以前は、鏡の前で赤面したのが、今日は、何ともない。
今日が、一番元気の良い日である。
対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『元気になったのは、やはり病的である。
また次には、その反動が来る。
このようなことを経る間に、いつとは知らず、何とも思わなくなり、真の健康となる時がくる。』
※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著