赤面恐怖は消そうとせず、消えるを待つ
対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記第十七日:・・・四日間の臥じょくの経験や、煩悶即解脱や、水波の喩えなど、先生から説明され、私は今日、神経質のものは、強壮な身体を一人で勝手に病気であると信じ、恐れているのである。
恐怖は心に起こった波である。
これを消そうとすることは、かえっていけない。
自ら消えるのを待つべきであるということが、よく了解された。
苦悩を通じて、歓喜を得るべきである。
帝展へ行った。
赤面した。
恐ろしく恥ずかしかった。
電車に乗った。
顔は熱い。
ただ苦痛を堪えるだけのことである。
帰宅後仕事をウンとやったが、べつに疲れも覚えない。
十二時頃まで読書をした。
対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『自ら健康であるということを忘れたところが、真の健康である。自然のままに働けばよい。』
対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記第十八日・・・電車で、先生を上野まで送った。
電車の中で、先生が大声に話されて、他の人達がジロジロと自分らを見たが、別に苦痛を感じなかった。
以前のように、ハッと思うと、腹のあたりから顔へ、ドッと血の押し寄せることはほとんどない。
対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『丹田の姿勢を覚えたからである。』
昨夜は、十二時まで読書したが、今朝はこんなに楽である。
停車場でも、人々が何の恐れもなく、元気よく話しているのを見ると、何となく淋しくなる。
しかし恐怖は無くなった。
帰宅後も、一分間たりともブラリとせずドンドン仕事をし読書をした。
苦しむこと、耐えること、やがて心に光の来ることを信ずるようになった。
夜、電燈で鏡を見ると、顔も耳も紅い。
例の悲しみが込み上げてきたが、やがて消えていった。
※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著