ニ十歳学生。

森田療法ではじめて治すことのできた対人恐怖症例の第一例である。

発病は、十六歳頃、学校で何かの際に、教室で、同生徒の赤面するのを大勢ではやし立てることが流行してから、生徒間に多くの赤面恐怖ができたが、患者もこの頃から発病して、二年ばかり前から、ますますはなはだしくなったのである。

ついには、衆人に注視されることが恐ろしくて、電車に乗ることができず、2キロ余りの道を、毎日電車にも乗らず、雪の日でも、必ず徒歩して通学していた。

みずからますます小胆、卑屈を感じ、将来とても社会に立つことのできないことを悲観し、ついに高校2年生の時、中途で学校を断念、退学した。

以来、種々の治療を受けたけれども、少しも効なく、ついに自ら決心して房州に静養し、もし治らなければ断然身を捨てようと、行李の中に剃刀までも用意したが、折しも偶然、森田療法を受けるようになった。

その他、赤面恐怖患者の訴える症状は、頭重、精神朦朧の感、多夢があり、読書にも注意散乱し、理解力、記憶力なく、目には彩塵、残像のあることを苦しむ等のことがある。

また静粛な時には、時々耳鳴を感ずる。

赤面恐怖患者は赤緑に対する色盲を持っている。

体格栄養は中等で、皮膚画紋症もなく、顔面も、さほど著明に潮紅するのではない。
ただ顔や耳が熱くなり、はなはだしく潮紅するような感じがするのである。

入院療法をすることになったが、治療経過は、赤面恐怖患者の日記から抜き書きしたものを挙げることにする。

『』の中は、森田正馬がその日記に朱書して、説得指導したものである。

はじめ四日間、絶対臥じょく療法をなし、臭素カリ一日4.0を与えた。

この時は、まだ私が治療に慣れないので、少し鎮静薬を用いることにした。その後は、けっして用いることを要しないのである。

臥じょく中、第一日は楽に案臥し、第二日は、自分の病のこと、身の上のことを考え悲観したけれども、はなはだしい苦悶にはいたらなかった。

他人の中にあるよりは、かえって楽である。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記第三日は煩悶なし、頭重は全くなくなった。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記第四日は、退屈を感ずるようになった。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記第五日から起床し、室外で、終日ブラブラとしていた。

身体には熱感があり、頭重少しあり、静かにしている時、ジーンジーンと耳鳴(三、四年前から)があったけれども、意にはかいさなかった。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記第七日:一日中頭重く、頭部顔面、頸筋ともに熱し・・・午後は庭掃除及び読書をこもごもした。

先生不在の時は、なんとなく気重く不安である。

夕食を共にする時、顔が熱するけれども、少しも不安を感じない。

今日は独りいることが嫌になり、化け物でも出そうに感じ、戸の音にも心怯えた。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記第八日:(雨)一日中、孤独を恐れた。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『孤独に置かれれば孤独を恐れ、人中へでなければならぬと思えば、赤面をおそれるのである。』

頭の重いことには気づかず、夜は恐怖のため、頭、耳等に欝血、逆上の感あって苦しい。

先生の話を聴いて、心やや安らかになる。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記第九日:朝の間は、頭やや重し。

次第に良くなる。

掃除、読書、薪割りを心地よく行う・・・。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記第十二日:二日間頭痛がしたが、今日はなくなった。

眼の残像は前の通りである。

・・・午後、郵便局へ行った。

平常ならば、恐ろしくて赤くなるが、今日は気が落ち着いていた。

帰ってしゃべり過ぎて、一度赤くなりそうになった。

実際は、手で触れれば熱いのだから、顔は赤くなっているに違いない。

ただ顔の感じが鈍くなっただけらしい。

薪割りをして疲れもせぬ。

夜、買物に出かけた。

今思い出したが、その間、顔が赤くなるということに関しては、気が付かずにいたらしい。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記第十四日(雨)先生とともに、電車に乗って、使いに行った。
人が混んでいたので、恐ろしくなった。

帰りには、独りで乗った。

顔が火照り出して弱った。

前に並んでいる顔や衣服が、心を圧迫してくる。

夜、散歩に出た。

赤いと思っていた顔が、鏡に映った時に、青白いようだった。

今日は、脳みそのゴチャゴチャしたのが、非常に整頓されたような感じがした。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記第十五日:・・・先生は、赤くなるのを止めるのではなく堪えるのである。

赤くなることが気にならぬ時は、赤くならない時である。

また、人中へ出るのが怖くなくなればよいではないかといわれる。

しかし怖くなくとも、恥かしくなくとも、赤くなっては困るのである。

夜、散歩中、先生と以上の話をして歩いたが、肝心の自分の顔が、赤くなるということを忘れていた。

この境地であると思う。

残像や彩塵も、気に留めて心配せよ、顔も自分から、努めて赤くせよ、と先生はいわれた。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記第十六日:先生と共に、白木屋へ出かけた。

店にいる間、顔が火照って、実に苦しかった。

もしあの場合、私が買い物でもすることになったら、銭勘定もできなかったであろう。

先生に聞けば赤くないという。

だれでも、顔は時々刻々に、熱くなったり冷えたりするのであるといって、先生の手の赤いのを見せて下さった。

間もなく白くなった。

しかし私にはわからぬ。

顔が赤くなって笑われても、永遠にそれを耐えることを意味するのであるが、今の私の考えでは、熱いのが治らなければ、赤くなるのも治らない。

先生に別れて、電車で帰ったが、割合に楽であった。

私は何でも堪える。

こらえてこらえて堪え抜こうと思う。

しかし私は悲しい。

この世の中が、私にとって不愉快なものとなったら、この世は不必要なものになるであろうか。

帰ってから「叙述と迷信」という書を、百五十ページほど読んだ。畑の土を、半坪ほど入れ替えた。

非常に疲れた。

夜買物に出た。

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著