そもそも、強迫観念は恐怖である。
苦悩である。
煩悶である。
それでは煩悶とは何であろうか。
それは、心の反応、葛藤である。
鼻の先が視える。
視ないようにとする。
時計の音が耳障りになる。
聴かないように努力する。
不可抗力であって、のれんと角力取って、いたずらに奔命に疲れるようなものである。
これが心の葛藤であって、そうありたい、ということと、それができない、ということとの間に起こる心の葛藤であって、そうありたい、ということと、それができない、ということとの間に起こる心の闘争をいうのである。
闘争がなければ、そのところに煩悶はなくて、平和である。
歯が痛い。
アア痛い痛い。
それは苦痛ではあるが、葛藤ではない。
腹が減る。
食べない。
それは苦しいけれども、煩悶ではない。
食欲がない。
いつまでも食べたくない。
それは少しでも苦痛ではない。
しかし何だか、病気ではないかという心配がある。
すなわち煩悶が生ずる。
頭がぼんやりする。
それは感じの鈍い有様であるから、頭痛と違って苦痛ではない。
しかし、神経衰弱症ではないか、肺病ではなかろうか、と考える時に、はじめて煩悶になる。
神経質の症状は、すべてが苦痛ではなくて想像、取り越し苦労であり、煩悶なのである。
この取り越し苦労がなければ、すなわち強迫観念はない。
以上、簡単に強迫観念のことについて説明したが、対人恐怖症になり、その他の強迫観念の意味を充分に、簡単、明瞭に会得しなければならない。
はじめから自分の苦悩に執着して、これに当てはめようとしてこれを読んでは、けっしてわからないのである。
※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著