強迫観念症も、これと同じである。

今、対人恐怖症を理解しやすくするために、少しこれについて簡単に説明しておくことが便利かと思う。

強迫観念とは、既成書による従来の定義からいうと、込み入った変態的、病的異常のようであるが、私にいわせれば、きわめて簡単である。

それはわれわれの日常、自然の感想に対して、自らことさらにそうあってはならぬと反抗し、苦悩するものである。

すなわちその感想そのものが病的であるのではない。

これを病的と思い違えて、いたずらにこれに反抗するところに反抗心そのものが異常を引き起こすのである。

これが従来の学説と、根本的な相違点であって、ちょうど天動説に対する地動説のようなもので、全く反対になっているのである。

強迫観念の名は、1867年、クラフト・エービングがはじめて唱え出したもので、「自分で不快な、苦しい、思うまいとする、ある一定の観念が、自分の意志に反して、無理強いに意識の上に現れてきて、自分を苦しめる」、すなわちこれを強迫と名づけたのである。

この観念が、常に患者を恐怖、苦悩させるから、強迫観念を恐怖症と称して、対人恐怖症とか赤面恐怖とかいうのである。

すなわち従来の説は、「ある観念が強迫的に現われる」といい、私の見解では「当然起こるべき観念を、強いておこさないようにしようとする不可能の苦悩」と解釈するのである。

今、1,2例を挙げて、これを理解しやすくしよう。拙著『神経衰弱及強迫観念の根治法』のうちに挙げてある実例であるが、かつて鼻尖恐怖というのがあった。

それは、患者がある時、寄宿舎で試験勉強中にフト鼻の先が目障りになり、これを見ないようにしようとして、苦悶に陥り、3,4年もこれに悩んで、ついに長崎から、はるばる東京へ、森田治療を受けに来たものである。

そもそも、鼻の先の見えることは、正に常態である。

いかに鼻は低くとも、鼻の先の見えぬ人は一人もない。

しかものんきな人は、3,40歳になって鼻の先のみえることを知らないことさえある。

「心ここに非ざれば、視れども視えず」、気が付かなくてこそ何のこともないが、一度これに執着すれば、はじめて強迫観念ともなるのである。

いかに執着ということ、そのことの恐ろしいものであろうか。

それはずなわち当然視ることができるものを、素直に受け入れることなくていたずらにこれに反抗し、打ち勝とうとする不可能の努力に対する苦悶である。

またきわめてありふれた強迫観念であるところの肺病恐怖、梅毒恐怖などというものがある。

肺病や梅毒を恐れ、気にしない者は、物心がつき、その病の性質を知った後の人に、あるはずがない。

白痴か何かでなければ、これを恐れない人はない。

気になるまま気にし、恐ろしいから恐れる。

そこに強迫観念はない。

恐れてはならない、思い出してはいけない、と反抗するところに、強迫観念が起こるのである。

また、われわれが試験勉強をする。

昨日の試験の点数が心配になり、明日の問題が気にかかる。

現在読んでいる本が、どこを読んでいるか分からない。

気にしないようにしようとする。

ますます気になる。

本の方に精神を集中しようとする。

いよいよ注意が散乱する。

この心の反抗の状態が、すなわち強迫観念の有様である。

これに対して、心の作為なく、あるがままに、気になるのを気にし、読むべきを読んでいれば、気になるものは、なり尽くし、読むものは、いつか必要なものは、自然に理解され、記憶されるようになって、知らず知らずの間に、精神は統一するようになる。

この自然のままに従うということは、修養によって、案外、容易にできるものである。

このようなことは、けっして理論によって想像することのできるものではない。

ただ体験によってはじめて、簡単に会得することができるものである。

神経質でなく、ヒポコンドリー性でないものは、鼻の先が視えながら、肺病が気になりながら、勉強の時、雑念が起こりながら、しかも本人は自らこれが苦痛である、ということに気が付かないで平気である。

それはすなわち「自然に服従し、境遇に柔順である」からである。

私はこの「恐怖は、そのまま恐怖する」時に、自ら苦悶を感じない、ということを「山に入って、山を見ず」ということにたとえている。

また、禅の方では「なりきる」といい、暑さになりきる、寒さになりきるとかいって、その時には寒暑をも苦痛としない。

これがすなわち「心頭滅却すれば火もまた涼し」ということになるのである。

禅の方でいえば、その説明は、あるいは難しいことであろうけれども、私はこのようにきわめて平凡に解する。

まったく「道は近きにあり」である。

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著