神経症について、森田正馬の神経質論、フロイトにはじまる精神分析学的理論、ハイデッガーなどの哲学を援用する人間学的理論、学習理論にもとづく行動療法学説など、さまざまな精神病理学説がたてられ、それぞれの理論的立場から、各種の論争が展開されている。
しかし、その都度、対人恐怖症患者への即座の対応が要求される臨床医の大多数は、薬物療法はもちろんのこと、精神療法においても、それぞれの対人恐怖症患者に応じて、使える理論や療法はなんでも使ってゆくという実践的戦術をとっているのが、偽らざる現状である。
対人恐怖症論に関しては「日本の神経症的特性」としてとくに対人恐怖症が取り上げられる比較精神医学的事情もあって、これまで森田療法の他には、特記すべき学説は見当たらなかった。
しかし最近では、森田療法学派とは違ったいくつかの研究もなされている。
それらの研究は、様々な神経症論から対人恐怖症の精神病理へのアプローチを試みたものである。
とはいえ、それらはすべて、基本的には森田療法の見解を継承している。
このサイトでの一部の考察も、基本的には森田療法の対人恐怖症論をめぐって展開される。
ここでまず、森田療法の基本的見解をあげておくことにする。
対人恐怖症は、恥ずかしがる事を以て、自らふがいないことと考え、恥ずかしがらないようにと苦心する「負け惜しみ」の意地っ張り根性である。
故に広く言えば、自ら人前で、恥ずかしがることを苦悩する症であって、いわば羞恥恐怖というべきものである。
この定義のなかに、ベネディクトの指摘する恥の問題や日本人の矛盾した心性が現れていることを容易に見てとれるであろう。それらをより明確化するのがこれからの目的である。
※参考文献:対人恐怖の心理 内沼幸雄著