”落ち度があっても謝らない欧米人”
第三に、外国に留学した日本人の比較研究をみてみよう。
里村淳氏の西ドイツでの研究や八島章太郎氏のオーストリアでの研究によれば、視線恐怖はないか、あっても加害者意識が希薄だとのことである。
よくいわれることだが、欧米人は自分に落ち度があっても、なかなか謝らないという。
はからずも私は、アテネの学会に行き、バスにひかれてあやうく死に損なって、病院、警察と5時間ほど加害者とつきあわされた。
加害者に完全に落ち度があったにもかかわらず、謝罪の言葉を一度たりとも聞いたことがない。
それどころか、ぼんやりと歩いている私が悪いと、さかんに警官にまくしたてていた。
日本人なら、他人に外傷を負わせたら、自分に落ち度がなくても、申し訳ないの一言くらいはのべるのではなかろうか。
羞恥心がそうさせるのだ。
視線恐怖の加害者意識、罪の怯えには、羞恥心がふかくかかわっている。
ともあれ、里村・八島両氏の比較研究には、対人恐怖症と社会恐怖症の微妙なニュアンスの違いが示されていて、大変興味深い。
社会恐怖症では辺縁群に比重がかなりおかれていること、回避性パーソナリティ障害についての見方、加害者意識の乏しさの三点が、対人恐怖症との異質点と思われる。
この差異は、欧米人と日本人の羞恥に対する態度の違いに起因するものと考えられる。
第一点の差異についてのみとりあげると、辺縁群では中核群とくらべて、羞恥をめぐる葛藤それ自体は、症状として現れていない。
この点も、いまのべた見解をさし示しているといえるであろう。
※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著