日本の文化が対人恐怖症を生んだ
●対人恐怖症は日本にしかない?
”欧米にもある対人恐怖症”
欧米諸国では、日本の対人恐怖症に類似した神経症が、まずイギリスの行動療法学者マークスによってとりだされ、社会的恐怖症の名のもとに恐怖症の主要類型とされた。
ついでアメリカ精神医学協会の診断分類の手引書DSM――Ⅲにも、恐怖症の一独立類型として取り入れられるに至った。
社会的恐怖症は、1900年前後に記載されていたものの再復活といってもいいが、なぜ最近になってあらためて脚光をあびるにいたったのか、よくわからない。
近年の欧米諸国による社会的文化的変化によるものなのか、それとも、単なる臨床的な見方の変化にすぎないのか、今後の課題としてとどめておくよりほかにない。
いずれにしろ、精神分析学者コフートの影響もあって、恥の病理に対する関心が欧米諸国で急速に大いに歓迎すべき現象である。
しかし、そのような関心の高まりがあるとはいえ、恥に対する欧米の学者評価は、ネガティブなものがほとんどである。
私はアテネの学会で発表した際、シャイネスを牢獄とみなすジンバルドの見方に著しいカルチャー・ショックを受けたことをのべ、日本人の羞恥概念について解説した。
日本の文化ではほとんど10世紀にわたり羞恥が貴重な美徳であり続けたし、いまなお日本人はシャイを美しいと感じていると語ったところ、ギリシャとオランダの精神科医からお茶に誘われた。
彼らによると、たしかにいまでは羞恥に対してネガティブな姿勢がつよいが、古代ギリシャでも古くは中部ヨーロッパでも、シャイは美しいとみられていたとのことであった。
印象論はともかく、ここでは文献にもとづいた比較をおこなっておくことにする。
※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著