”治療者はよき話し相手である”
ここで各種神経症類型の治療技法を概説的にまとめておく。
乖離型類型の対人恐怖症治療では、第一に症状にこだわらないこと、第二に症状と切り離された無意識レベルの対人葛藤に、関心を向けかえていくことの二点に重点がおかれる。
この第二点では、まず「いま、ここ」における対人葛藤(たとえば、先の乗り物恐怖症患者の嫁姑関係)をいしきさせ、
(参照)
それに直面させることが大切である。
しかし多くの対人恐怖症例では「いま、ここ」にとどまらず、過去における親子関係の在り方に問題のある例もすくなくない。
このような場合には、幼児期の親子関係の病理にも耳を傾け、対人恐怖症患者とともに過去の再構築をこころみることが大切となる。
むろん過去は消え去らない。
しかし人間には未来があるのだ。
社会の歴史と同じように、未来にむけた目で過去を振り返ってみると、過去の別の見方も可能となる。
かつて経験した喜び、悲しみ、怒り、苦しみ、服従や反抗等々、またそれにかかわりをもった両親、兄弟、友達など、自分にとって貴重な糧になっているのに気づかされる。
その際ひとりで考えていると、過去の悪い面のみが目につくが、人に語り人から意見を聞くことにより、見方が変わってくる。
対人恐怖症の治療者とは、そのような話し相手だと考えてもらっていい。
なによりも語ることが大切だ。
語ったからとてわかってもらえないかもしれない。
しかし語らなかったより、はるかにましである。
わかってもらえずにいらだちや怒りを感じたり、逆にわかってもらえて対人恐怖症の治療者を過度にかいかぶったりといった感情の動きが、対人恐怖症の治療過程では生じる。
その感情の動きには過去の人間関係での反応パターンが反映されていることが多く、その点の自覚化を通して、過去の再構築をはかることになる。
対人恐怖症や各種神経症の治療の基本は折衷的な技法である。
神経症の病理によってどこに重点をおくかの理由がわかっていただければ、それでよしとしたい。
むろん図は一般原則を示したもので、非乖離型でも乖離型と同じ問題が主体となっている例もある。
その場合には、対人恐怖症状から切り離されている無意識のレベルの、多くは幼少期の両親そのほか身近な人達との、葛藤をとりあげる必要がある。
逆にまた乖離型でも対人恐怖症状それ自体に対人葛藤がそのまま直接的に反映されている部分もあり、非乖離型と同じ治療的応接をないがしろにしてはならない。
臨床の現場では、常にとらわれのない柔軟な対応が大切である。
※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著