”「〇〇すべからず」を先取りしてしまう”

排尿困難恐怖症のJ男さんの行動特性あるいは性格構造で目立つのは、規範性の肥大である。
そもそも子どもにとって親の期待は、一つの規範性を帯びてくる。
親が厳しくしつけるにせよ、躾けないにせよ、親の期待はしばしば子どもに先どりされ、「〇〇すべし」「〇〇すべからず」という行動規範として内在化されるのだ。
その規範から逸脱することは、親の期待を裏切り、その結果親に見捨てられるのではないか、という不安につながるのは、容易に理解できる。

また、このような規範意識は、見捨てる親への怒りや反抗の気持ちに裏うちされていることが少なくない。
私たちが学校の規則や社会の体制に、ときに理由もなく反抗したくなるのも、このような幼児期の心性に由来する場合も結構多いのではないかと思われる。

むろんこの規範意識が肥大すると、怒りや反抗は意識下に抑圧されて自覚されなくなる。
症例のなかではのべなかったけれども、排尿困難恐怖のJ男さんは、大小便の行動にかぎってみても、立小便はしたことがなく、大便所に入ってもひとの気配がするとオナラをすることを怖れ、バス旅行などで途中で用をたしたくなったら困ると思ってバス恐怖症的になっており、やむをえずバスに乗る時は神経質なほどその前に用をたしておくとか、水分摂取を控えるのを常としていた。

むろん人の迷惑にならないようにそのような心掛けは大切であろうが、予期せぬ生理的欲求にせまられたとき、バスを止めさせたからといって人の非難を受けるものではない。
場所のわきまえは必要であろうが、ときには立小便の壮快さ、世界に響きわたれと言わんばかりのガス噴射の痛快さくらいは、攻撃性・破壊性の象徴的儀式として、実害がないかぎりゆるされていいはずである。

そのような社会的許容性を自覚し得ないまま、みずからにゆるせない排尿困難恐怖のJ男さんは、強迫的心性の持ち主といってよい。
実際、著者の医師は数多くの排尿困難恐怖の症例を診てきたが、強迫性格の持ち主が多かった。
なかには排尿困難恐怖のほかに、典型的な強迫症状を示す例もある。

※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著