●誰も身に覚えのある悩み

”ひとりで悩んでいる人々”

専門科医を受診せずに、一人で悩んでいる対人恐怖症の患者が数多くいることは、以前から研究者の間で指摘されている。
当事者も職業柄、新聞の人生相談欄になるべく目を通すことにしているが、対人恐怖症と診断しうる例が、毎年必ずと言ってよいほど掲載されている。
次にあげる例は、昭和63年の末頃から数か月のあいだに、新聞に載せられたものである。

U男
高校三年生の男子。
対人恐怖症ではないかと悩んでいます。
中学時代は自分なりの素晴らしい学生生活がおくれました。
ところが、高校に入ったとたん、どの友達と話をしても、中学の時のように素直に笑えなくなったのです。
クラスの皆が何かそっけない態度で近寄りがたく、話しかけても誰も喜んで聞いてくれないような気がするのです。

たまに中学時代の友達に会っても、昔のように自分から話すことがなく、悲しくなります。

自分で選んだ高校に入ってこんなことを言うのは、情けないとは思いますが、昔の自分を取り戻したいのです。
もう昔のような充実した日々をおくることはできないでしょうか。
どう皆と接したらよいのでしょうか。

N子
中三の女子。
友達の中で顔や体がこわばって、何かぎくしゃくして悩んでます。
中二の時、「変な笑い顔」とか言われ、いつも顔のことが気になってしまい、人が集まっているところだと、顔がこわばって、笑っているのか泣いているのかわからない変な表情になってしまいます。
歩き方や動作までおかしくなることもあります。

一年生の時までは、友達に積極的に話しかけていたのですが、二年生になって、親友のY子に新しい友達ができ、私を避けるようで、人にしゃべることが怖くなってしまいました。
変な顔や歩き方をするのはもう嫌です。
どうしたらよいのでしょうか。

S子
高三の女子です。
自意識過剰に悩んでいます。

高一の時、クラスの女子に聞こえるように「嫌な人」といわれたのです。
私は授業中、首を傾けて聞く癖があり、そのために隣の子を見ているように思われたのでしょう。
そのことに気付いてから、いつも隣の人がいやがっているのではないかと気になりだしました。

思い切って精神科医に相談しましたが、「あなたの年頃にはよくあること」といわれて十分に話を聞いてもらえませんでした。

高二では良い友人に恵まれ、楽しい学校生活をおくれました。
でも、字を書く時は必ず髪を顔の両脇に垂らして、隣を見ないようにしました。
隣の人はそんな私に気付いていたらしく、私は大変迷惑をかけていたのです。

今では電車の中でもどこでも、人の集まる場所にいくのがこわくなってしまいました。こんな自分が悲しく、これから大学でいろんなことに挑戦していきたいのに、この病気が付きまとうかと思うと、不安でなりません。

”愚かな悩みだろうか”

もし読者がこれらの訴えを読んで、なんと愚かな悩みかと思うとすれば、その人は極めて健康か、精神病の予備群の、どちらかであるに違いない。
こういう言い方はいかにも奇をてらったようで、反発を感じられる方もおられるのではないかと思うが、精神医学の常識を述べたに過ぎない。

ここでいう精神病とは統合失調症と躁鬱病のことである。
一般傾向としてこれらの二大精神病に罹患する人達は、発病する以前には、表面的に見る限り対人葛藤に深刻に悩むことが少ない。

自覚的に悩むことがあまりないとすれば、「きわめて精神的に健康」だということになる。
しかし、そのような人達は目立った精神的ショックを受けることもなく発病し、しかもいったん発病すると著しい精神の混乱と現実離れをきたす。
このことから、二大精神病は心理的に了解不能、感情移入不能な病気で、脳の病変と考える以外に説明不可能とされてきた。

けれども、自覚的に悩むことが少なかったということの背後に病理が潜んでいた可能性もあり、心理的に了解不能、感情移入不能と安易に決めつけるわけにもいかないという考え方も一方にはあって、いまだ謎に包まれた疾患のままにとどまっている。

まだ謎だとはいえ、大変興味深いのは、発病後に著しい精神的苦悩にさいなまれながらも、その苦悩が非現実的だという自覚に乏しい点である。
この点は、同じく苦悩への自覚的省察に乏しい、カギ括弧つきの「きわめて精神的に健康」な人達と共通している。

この事実は、悩みのないところに真のせいしんてきけんこうはありえず煩悩があってはじめて解脱の可能性が開かれていることを示している。
煩悩解脱など所詮不可能であるにしても、対人葛藤に自覚的にもがき苦しむことは、少なくとも精神病におちいらない保障、さらにはより豊かな人格の成長可能性の保証といっても過言ではない。
また、たとえ精神病に罹患しても、自己省察が保たれている人たちは、人格荒廃におちいることが少ないのがふつうである。

※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著