”プライドが高い人は自分が嫌い”
対人恐怖症など精神的障害を持つ者は、自分の嫌いな人間とつきあおうとする。
心の底でもっとも嫌いな人間と付き合う。
そしてその人間からなかなか離れることができない。
対人恐怖症のストレスでヘトヘトに疲れている人、憔悴している人、何かに追われているようで不安な人、それらの人はもう一度、今自分の付き合っている人を、ほんとうに心の底で好きなのかどうか、本気で自分に問うてみることである。
今その人と一緒にいて本当に楽しいか?今その人と一緒にいて本当に安らぐか?
対人恐怖症の人はそんなことはないのではなかろうか。
対人恐怖症の人はなぜ一緒にいて楽しくもない人と、あえて一緒にいようとするのか。
対人恐怖症の人はなぜ一緒にいると心の底で不快な人間と一緒にいようとするのか。
対人恐怖症の人は一緒にいる時、自分の弱点を見せまいとして虚勢を張らねばならない人間と、なぜ一緒にいようとするのか。
それはその人に自分の価値を認めさせようとしているからではなかろうか。
対人恐怖症の人はその人から低く評価されるのが我慢ならないからではなかろうか。
しかし、対人恐怖症の人はなぜその人に自分の価値をみとめさせようと固執するのか。
それは、あなたが心の底の底のいちばん底のところで、その人が自分を拒否しているということを感じ取っているからである。
対人恐怖症の人がその人と一緒にいると心の底で不快になるのも、その人が自分を拒否しているのを無意識に感じ取るからであろう。
対人恐怖症など精神的に障害をもつ人間は、自分を拒否する人間から離れられない。
それにしても、なぜ自分を拒否するような人間に、対人恐怖症の人はそんな価値を与えてしまうのであろうか。
対人恐怖症の人は自分を拒否する人間に自分の価値を認めさせようとして固執すれば固執するほど、自分の自尊の感情を傷つけてしまう。
対人恐怖症の人は時として、ありのままの自分を拒否する人間に固執して自分の一生を棒に振る。
自分を受け入れてくれる人の為に自分の一生をささげるのならまだしも、なぜ自分を拒否する人間に自分の一生を捧げてしまうのか。それにしても、そのために一生不快感を持ち続けて生きる人のなんと多いことか。
自分を拒否する人間に対人恐怖症の人がそんな不当な価値を与えてしまうのは、実は自分自身に対する評価が低いからである。
自尊の感情が高い人は、自分を拒否する人間にかかわって自分の一生を棒に振るというような愚をおかすことはない。
幼児期、少年少女期とありのままの自分を受け入れてもらって育った人は、成長しても自分を受け入れてくれる人とつきあって生きていこうとする。
※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著