”「間」の美”

沈黙の語りともいうべき「間」の美について語り合うのも、一興であろう。
専門家も語りえないこの問題を、初歩的ながら対人恐怖症の治療者と患者がはなしあうのは、ともにわからないからこそ興味深いし、逆に対人恐怖症患者から学べることも少なくない。

歌舞伎の専属三味線引きのある対人恐怖症患者は、「間」の恐怖にたえがたく、ついにはアルコールに頼るにいたった。
その対人恐怖症患者がつくづく述懐したところによると、自分が緊張のあまり最悪だと思った演奏にかぎって、人から褒められるという。
かのマリア・カラスは、舞台にでる前の間あいのおそろしい緊張感に生涯苦しみ続けたといわれる。
その三味線引きの対人恐怖症患者によれば、いまは故人の越路吹雪さんなどは、それはひどいものでしたとのことであった。

対人恐怖症の治療の場での話題として、映画に出てくる話し方、仕草など、対人接触のあり方の諸外国と日本との違いを取り上げるのも一法である。

著者の個人的なことになるが、高校、大学時代、洋画中毒であった。
おそらく邦画を軽蔑していたのであろう。
くだらないと思いながら時間つぶしで見た時代劇にほかは、当時邦画を見た記憶がない。
ところが、近頃は年のせいか、かつて見た映画の再放送を見ても、当時の感動はさっぱり甦ってこない。
どこか妙な違和感を感じるようになった。
その理由は、欧米人の話し方や仕草がしっくりこない点にある。
私たちは愛の表現一つにしても、赤面恐怖症の青鬼君(参照)から脱却するのは難しく、むしろ青鬼君的なところがないと心の琴線にふれてこないようである。

※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著