”ひとりぼっちの思い込み”
自己愛的利己主義者の親の”愛情”と書くが、もちろんこれはほんとうの愛情ではない。
むしろ、”所有”と書くべきであろう。
所有している人間は愛していると錯覚し、所有されている対人恐怖症の人間は愛されていると錯覚する。
しかし愛されている人間が、どうしてそんなに不安なのであろう、どうしてそんなに対人恐怖症のようにおびえているのであろう。
うつ病の病前性格の特徴は、他人のペット、対人恐怖症であることであり、自己評価の低いことである。
他人のペットになる、対人恐怖症になるのは自己評価の低い証拠である。
対人恐怖症の人は他人の自分に対する期待を先取りして、それに迎合していく。
迎合する以外に自分は受け入れられないと感じている。
幼い日、あなたはいろいろなことを求めた。
しかしあなたの心の叫びに、自己愛他的な親は気付かなかった。
その時、そのことを対人恐怖症の人は次のように解釈した。
自分の欲求が聞きとどけられないのは、自分に価値が無いからだと。
それが低い自己評価のはじまりであった。
対人恐怖症の人は他人はありのままの自分を受け入れて愛してくれるのではなく、他人は自分を傷つけるものという錯覚が、いつのまにかできあがってしまった。
他人は自分を傷つける、他人は自分を拒否する、そのまちがった判断があなたを対人恐怖症の孤独へと追いやっていく。
しかし孤独に耐えられなくて八方美人になる。
八方美人になったところで、孤独感がいやされるわけではない。
八方美人で対人恐怖症の人が自分を傷つける、自分を拒否すると感じている対象と、感情の接触ができるはずがない。
対人恐怖症の人に必要なことは、まず第一に、この他人に対する間違った考え方を頭の中で改めることである。
他人に対するまちがった考え方を頭の中で改めたところで、すぐに感情がついてくるわけではない。
しかし対人恐怖症の人はまず第一には、頭の中で間違いを正すことから出発しなければならない。
ある酒飲みの老人が、犬を可愛がっていた。
そして「犬は俺のことをノンべーと軽蔑しない。
自分がしてやることを素直に受け取ってくれる」といっていた。
しかし、この動物好きの老人をみんながノンべーと軽蔑していたであろうか。
決してそんなことはない。
この老人が勝手に、そう思い込んでいただけである。
その老人のことを、犬好きの心の優しい人と思っている人も、なかにはいるのである。
たしかにみんなはその老人のことを酒飲みとはいっていた。
しかし、全ての人が軽蔑していたわけではない。
にもかかわらず、その老人は犬にしか理解してもらえないと解釈し、孤独への道を歩んで死んでいった。
※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著