●どこまでも自分は自分
”人に気に入られるために生まれて来たのではない”
気に入らなければ可愛がらないという親の子どもは、受容されるということがない。
他人を受容できる人間には自律性がある。
他人を拒絶する人間には依存性がある。
対人恐怖症の人のように自分の自尊の感情が満たされるか傷つくかに関係なく、他人の欲求を認めることができる、これが自律性である。
他人に心理的に依存している人間は、当然他人の言動から心理的影響を受ける。
そこで他人の欲求の中で、自分の虚栄心(自尊の感情の低さから生じる)を傷つける者は認められないし、満足させるものは高く評価する。
受容――自律性、拒絶――依存性という反対の関係がある。
受容された者は高い自尊の感情をもち、拒絶された者は低い自尊の感情しかもてず、対人恐怖症になる。
対人恐怖症の強い依存心のある者は、何らかの点で自分に利益をもたらす者を愛する。
みずからの自我の拡大に役立つか、物質的利益をもたらすか、いずれにしろ自分に外側から何らかの利益をもたらす者を愛する。
こちらから物質的利益を与えるか、権威を与えるか、何らかのものを与えないかぎり、依存心の強い者に気に入られることはない。
たとえば犬を考えてみよう。
依存心の強い者は、名犬を飼うことで地域社会の評価を得られるなら、名犬を飼い、名犬を世話する。
しかし何らかの社会的権威とも結びつかない名もなき犬には、関心を示さない。
自律性のある者で犬の好きな者は、無条件に犬を世話し、可愛がる。
”I love you, because you are you.”
このような愛し方が受容ということであろう。
エリートビジネスマンになった息子は気にいるが、社会的に失敗した息子は厄介者にする。
それが依存心の強い親である。
社会的に失敗した息子は、自分に何の利益ももたらさないから気に入らないのである。
しかし依存心の強い親自身は、自分のこのような寒々とした心に気が付いていない。
依存心の強い親は自分に利益をもたらすから気に入り、利益をもたらさないから厄介者にしているとは思ってない。
依存心の強い親は自分が愛しているのは自分の利益になるからという事実には気づいていない。
依存心の強い親は息子を心から愛していると思っている。
依存心の強い親は社会的地位の高い人のところに嫁いだ娘のことは、地域社会における尊敬を自分にもたらすから気に入る。
依存心の強い親は社会的敗残者のところに嫁いだり、離婚した娘は可愛がろうとはしない。
しかし依存心の強い親自身はやはり、自分の利益を愛し、自分の不利益を憎んでいるだけだという自分の寒々とした利己主義には気が付いていない。
このような依存心の強い親に対しては、「自己喪失」が気に入られる条件なのである。
つまり本質における拒否である。
ということは、自分に対する親の期待に応え、気に入られることで受容されようとしている子どもは、もともと受容する能力の欠如している親に受容されようと、無益な努力をしているわけである。
対人恐怖症の低い自尊の感情を持つ者が、自分の自尊の感情を高めようとして周囲に受容を求める。
これが大人の依存心であろう。そのための最も安易な対象が子どもなのである。
かくて子どもは依存心の強い親の自己防衛の犠牲になってさまざまな心の病をもつようになる。
対人恐怖症、無力感、無関心、無意味感、焦燥感、脅迫感、不安感、劣等感・・・。
子どもは親に気に入られるために生まれて来たのではない。
※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著