”自然に振舞う”
対人恐怖症の人は自分を他人によく見せようとして、たいへんな勘違いをしている。
対人恐怖症の人は自分を他人に良く見せるために、お金もひつようなければ名声も必要ない。
ことさらなみはずれた良心の持ち主でもなければ、たいしてお金もないような普通の人が、仲間同士の間でよく思われているではないか。
またそのような人が他人に好感をもたれているではないか。
対人恐怖症の人の中には他人によく思われようと、いかにも同情心があるように振る舞う人もいる。
みな勘違いである。
要するに”共に生きよう”とする姿勢がありさえすれば、それだけで他人によく思われるものである。
他人に自分をよく見せようとする対人恐怖症の人は、偉くならなければとか、美人で泣ければとか思うが、肝心の”共に生きよう”という姿勢がないのである。
他人と同じであってはダメだと思っている。
それが勘違いなのである。
他人によく思われるためには、別に立派である必要などない。
この世の中を見渡してみれば、あまり立派とはいえない人が仲間内でよく思われていたりする。
他人に良く思われるためには、なにも他人に尽くす必要はない。
人間らしい感情をもっていれば、他人に尽くすことが自分にとって自然だから他人に尽くすまでである。
仲間のいる人はみんなそうである。
他人によく思ってもらおうとして他人に尽くしている人などいない。
立派でなければよく思われない、美人でなければよく思われない、他人の利益にならなければよく思われないと思っている対人恐怖症の人は、ペットを観察することである。
犬は、飼い主にどんな利益をもたらしているだろうか。
トイレの世話から散歩、食事まで、あらゆる世話をして、飼い主はその鳴き声のために周囲に気がねさえしている。
しかし、他人に利益などもたらさなくても、犬はよく思ってもらえるのである。
とにかく、ありのままの自分でありさえすれば、よく思ってくれる人はよく思ってくれる。
※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著