”愛に飢えた人々”
自己評価が高いか低いかということは、せんじ詰めれば、他人に受け入れられると感じているか、拒否されると感じているかの相違である。
ウェインバーグの『プライアント・アニマル』に次のような話が出ている。
全く孤独であると感じている青年がいた。
彼が、いつの日か自分が成し遂げるつもりの偉業について語ることにウェインバーグは耳を傾けた。
彼は有名な発明家となり、女性は彼に恋するはずであった。
しかし、数分の後に悲しい真実が判明した。
それは、自分が有名でなければ、誰も自分に恋しないと彼が思っていることである。
名声にこだわることによって彼は柔軟性に欠けた自己評価が低い対人恐怖症の人間になってしまう。
つまり、発明の才能を欠いた人間になってしまう。
このような自己評価が低い対人恐怖症の人間は、仕事の結果をあまりにも重要視する。
それでいながら、その仕事を実行するエネルギーに欠けていたりする。
愛を得る前に業績を上げようとしている自己評価が低い対人恐怖症の人に時々出会う。
そして彼らは愛との出会いに失敗する。
ありのままの自分は愛されるに値しないと思っているからである。
人々は名声を求める。
しかし真に求めているのは愛なのである。
当の本人も気づいていないことが多い。
しかし名声を求めている自己評価が低い対人恐怖症の人は、実をいえば愛を求めているのである。
愛を得る前に業績をあげなければと思っている自己評価が低い対人恐怖症の人は、実際の自分は愛に値しないと感じている。
対人恐怖症の彼らは自己評価が低い。
自己評価が低い対人恐怖症の彼らは自分が否定的に評価されるということを過度に恐れている。
自己評価が低い対人恐怖症の彼らは名声こそがその恐れを取り除いてくれると信じているのである。
このような自己評価が低い対人恐怖症の人々は、たとえどんなに業績を上げても自己評価は低い。
名声はその自己評価が低い対人恐怖症の人達の願いに反して、自分が否定的に評価されるという懸念を取り除いてはくれない。
※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著