●淋しいあなたがほんとうに求めているもの

”淋しいくせに愛を受け取れない”

案外気が付かないことに、次のようなことがある。

おじけづく人は愛されることを求めている人の中に、愛を受け取れない人がいるということである。

自律性を獲得した人は、むしろ愛する対象を持てない時に淋しいと感じる。

しかし依存心の強いおじけづく対人恐怖症の人は愛されることを求めて、それが十分に満たされないと淋しいと感じる。

問題はおじけづく人は当の本人が淋しいと感じながらも、愛を受け取れないことである。

たとえば、子どもに近づかれると不安になり、子どもから身を引いてしまうおじけづく対人恐怖症の母親である。

これなど愛を受け取れないおじけづく人の典型であろう。

ここで大切なのは、おじけづく母親自身が自分は愛情を受け取れないという事実にきがついていないということである。

おじけづく人はなにも母親ばかりでなく、父親にもこのような人はいるし、親ばかりでなく恋人の中にもいる。

そして、おじけづく自分が愛情を受け取れないという事実にきがついていないため、相手が自分から離れて行こうとすると、相手を冷たいと責める。

おじけづく対人恐怖症の人の中には、じぶんが愛情を受け取れないにもかかわらず、自分ほど愛情深い人間はいないと信じている人がいる。

おじけづく人はそのくせ、愛されると不安になって自分の中に閉じこもってしまう。
親子の場合だと、その不安を隠すために、わざと愛情深い態度をとる。

おじけづく対人恐怖症の人はこちらが愛そうとすれば身を引き、身を引いたことにこちらが反応すれば、その反応を責める。

おじけづく人は愛情を示せば拒否され、離れれば罰せられる。そこでとまどえば、とまどうなという。

ここで大切なのは、おじけづく人は愛情を示されると不安になる人がいるということである。

おじけづく人は愛情を示されると不安になって身を引くくせに、激しく愛情を求めている。

おじけづく人はちょうど、華やかさに憧れながら、華やかな場面に出会うと身を引いてしまう人のようなものである。

おじけづく対人恐怖症の人の中には成功を求めながら、成功しそうになるとおじけづく人もいる。

※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著