●雑談のなかで自分をみつめる
”現代の精神療法”
対人恐怖症の精神療法にはことなった学派が数えきれないほどある。
それらとは別に、宗教団体において信者の悩みの相談に応じるのも、会社の上司が部下の相談にのるのも、立派な精神療法といえなくはない。
近頃では精神医学の啓蒙の成果か、専門外の人達によるそれ相応の対応によって、心の安らぎを得ている人達は少なくない。
そればかりか近年、非科学的とされてきた民族的な儀式の再評価もおこなわれている。
とはいえ、ここでは、それ相応の精神病理学的な理論に基づいた対人恐怖症の精神療法にかぎることにする。
それでも一つの学派の中にも分派があり、しかも近年では家族療法、集団療法などの工夫もなされていて、数多くの技法が試みられているのが実情である。
また一つの技法を信奉する人達であっても、実際には治療者個人の個性がつよくでるので、極言すると精神療法家の数だけ対人恐怖症の精神療法の種類があるということになる。
しかし、そういってしまうと身もふたもないので、現在日本での対人恐怖症の精神療法に大きな影響をあたえた三本柱をあげることにする。
その三本柱とは、
1、森田正馬に由来し、森田がそういったわけではないが、いまでは森田療法と言われる治療法、
2、フロイトに由来し、その後数多くの分派を生み出したけれども、基本においては無意識の心性に焦点をあてる技法
3、学習理論にもとづいて、学習の誤りを矯正し再学習を目指す行動療法、
の三つである。
実際には、これらの理論や対人恐怖症の治療技法をまるごと信奉する治療者は少数派であって、それぞれの効果的な面を取り入れる折衷派がほとんどである。
むろん学問としては、理念を重んじる少数派の立場の価値を認めなくてはいけない。
しかし、正直なところ、その治療効果に大差はなく、いまでは折衷的な真に総合的なぎほうなのだとして見直される趨勢にある。
とはいえ折衷するには、それなりの理由がなくてはならない。
※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著