”自分をよく見せるための正義”

世の中の人間がすべて、物事に対して”かくあるべし”と思っているわけではない。
いわんや他人に対して、常に”あるべき姿”を押し付けているわけではない。

ところが他人に会って緊張する対人恐怖症の人は、目の前にいる人が、このようなことを自分に押し付けていると錯覚する。
そこで、そのような高い理想的基準に自分を合わせようとして無理をする。

ところがこの錯覚も、対人恐怖症の自分の中にある、他人への”かくあるべし”という要求の照り返しであるのかもしれない。

対人恐怖症の人は他人に対して少しの欠点も許せない人は、他人もまた、自分の少しの欠点も許さないと思いがちである。

対人的に、すぐに不安な緊張におそわれる対人恐怖症の人にとって必要なのは、実は正義でも理想でもない。

必要なのは、人間らしい寛大な温かい気持ちである。

人に会うと不安な緊張におそわれ、リラックスできない対人恐怖症の人は、おそらく、正義感の強い自分は他人に立派に映るであろうといったような錯覚をもっているのではなかろうか。

対人恐怖症の人の他人にとって自分をよく印象づけるための正義感や同情心は、自分を傷つけるだけである。

そして、他人に対して自分をよく印象付けるための正義感や同情心をもつ対人恐怖症者が、他人の必要に対してきわめて鈍感なのである。

立派なことを言いながら、子どもの心を理解できない親のなんと多いことか。

他人に対して、自分をよく印象付けるための正義感や同情心をもつ対人恐怖症者は、他人もまた、自分の必要性のみ押し付けてくる厳格な父親と同じ人間であろと思っているのである。

※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著