●破壊力を持った視線―――視線恐怖
”面子丸つぶれの恐怖”
「面子丸つぶれ」「面目を失う」「面目ない」などということばがあるが、顔と名誉・自負心とは深く関連し合っている。
対人恐怖症患者はへまを怖れ、面目をたてようと自己克服の努力をこころみるが何度も失敗に終わり、恥辱の思いをふかめるとともに、表情恐怖へと症状を悪化させる。
表情恐怖とは端的にいって「面子丸つぶれ」への恐怖である。
そのために対人恐怖症患者は、一方ではますます伏し目がちになり、他方では内面の動揺を隠して相手を正視できる人間になろうと努力する。
所詮この世は恥かき人生だと思いきれれば、面子を失って顔面土砂崩れを起こそうが、たかが知れたものではあるが、人間なかなかそうはいかないものらしい。
「怒ったような笑ったような顔」という訴えにしめされるような、どっちつかずの中間表情になるのも、そう思いきれるわけではないからである。
そうして表情恐怖を克服しようと努めているうちに、<視線恐怖>段階へと進展していく。
この<視線恐怖>段階の症例に共通する構造特性をとりだすと、次の四点にわけられる。
1、症状発生状況の拡散
2、被害者意識
3、加害者意識
4、仮面性。
赤面恐怖が原則として中間状況で生じるのに対して、表情恐怖では症状発生場面はやや広がる傾向を示し、<視線恐怖>段階にいたると広範囲に拡大する。
すなわち、見知らぬ人達や時に親密な人達のあいだにあっても、対人恐怖症状が意識されるようになる。
たとえば電車に乗っているときも、街を歩いている時も、あるいは自分の家族といる時も、他人や自分の視線に恐怖をいだく。
※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著