●仮面になった顔――表情恐怖

”赤面が恥辱の烙印に”

<赤面恐怖>段階についての説明で、世間体といった単純な考えでは十分にその全貌をとらえられないことを指摘した。
端的にいえば、この段階の対人恐怖症状は、自他の「間」の困惑を背景にし、それにもとづく対人緊張のあらわれとしてとらえうる。
しかし、ここで若干の補足が必要である。

第一は、対人恐怖症患者が症状の背景にある構造を、必ずしも明確に自覚しているわけではないということである。
とはいえ、この背景にある問題を指摘すると、対人恐怖症患者が容易にその点の自覚を持ちうる点が、他の神経症類型とは違った、対人恐怖症の目立った特徴である。

第二は、背景にある構造という言葉からすぐ思いついていただけると思うが、<赤面恐怖>段階の前に、もうひとつ症状変遷の進展とともに背景化された<人見知り>段階がある、という点である。
人見知りとは羞恥の原初的なあらわれである。
この問題については後に詳論する。

第三は、<赤面恐怖>段階では、たとえば赤面症状がぬぐおうとしてもぬぐえない恥辱、汚名の烙印という意味合いを帯び始めるということである。

その結果、「自」と「他」の平衡関係はくずれるほうこうへと傾斜してゆく。<自⇔他>の相互関係は<他→自>の関係へと変貌する。
本来羞恥の自然な現れである赤面は、世間に顔見せできない烙印性を帯び、一方方向に、その烙印を世間から見られるという構造へと変化してゆく。
いわば、この段階ではじめて世間体の意識が問題になるのだ。

※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著