“自意識と他意識”

誰しも困惑しやすいこの中間状況は、当然、対人恐怖症者には最も苦手な状況である。

この状況を手掛かりにして対人恐怖症を分析してみると、次の二点が浮き彫りにされてくる。

1、「自」と「他」の意識の過剰
2、「自」と「他」で構成される時空間的な「間」の意識の先鋭化

対人恐怖症者は、きわめて自意識過剰な人間である。

対人恐怖症患者は、自分の赤面、震え、声のうわずり等々を他人がどう見ているかと、たえず意識を自分の在り方に集中させる。

本来無意識になされうる自分の行動にも意識が集中する為、ますますぎこちなくなり、そうなればなるほど困惑の度をまして対人恐怖症状が悪化するように思え、いっそう自意識の度合いはひどくなる。

しかし、中間状況における対人恐怖症者を特徴づけるものは、自意識過剰のみではない。

この状況こそ、他人の存在の重みを際立たせることにもなる。

たとえば、B子さんは赤面を怖れて会社の食堂で食事もできなかった。

対人恐怖症患者は一般に、他人の笑い、ひそひそ話などに自分の赤面などが気付かれているのではないかと思い、たえず他人の動向に注意をはらうようになる。

他人から自分に向かう意識と同じく、自分から他人へと向かう意識をもするどくされるのだ。

これを自意識過剰にならって他意識過剰とよぶことにしたい。

他意識過剰も所詮は自意識過剰と同じものではないか、といわれるかもしれない。

なぜなら、他意識過剰は結局、自意識へと回帰してくるからである。

実際、他意識過剰の患者は回帰してくる自意識である自己の赤面意識に病的にとらわれる。

従来、この点のみが強調されて、自分が他人にいかに良く思われたいかという、世間体の意識に対人恐怖症の精神病理の根源があると見なされてきた。

それはさらに、ベネディクト流の日本文化論と結び付けられて、卑屈な比較精神医学的考察がなされるようになった。

※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著