”電車で上を見あげられない”
D子、初診時三十二歳
患者は、当時銀座でもっとも高級といわれたクラブに勤めていたが、服装の件で注意され、数日で解雇となった。
心の底から憧れて務めたところであったのでひどく落胆した。
次のクラブに勤めた頃から笑顔がこわばり、客に作り笑いを見せるのがつらかった。
そんなある日、街を歩いていると、むこうから歩いてくる奥様風の女性が自分に笑いかけてくるように感じて、相手を見た。
その時、その女性は、ふん生意気な、という様子で顔をそむけた。
それ以来、初診に至るまで約七年間、表情恐怖および、人から変な風に見られるという被害的な視線恐怖と、他人を見ると他人が顔をこわばらせて怯えた表情を示すという加害的な視線恐怖に悩み続け、そのために職を転々とかえている。
横を見る脇見恐怖というより、むしろ上方を見ることへの怖れが強く、電車の中で座っている際に上を見あげることができなかった。
この対人恐怖症の症例は、一見したところでは表情恐怖で初発し、すぐ視線恐怖へと移行した例のようにみえ、病状変遷の原則に合わないように思える。
しかし、対人恐怖症、発病前の生活史をつぶさに聴いてみると、けっしてそうではない。
この対人恐怖症の患者によると、幼児期恥ずかしがり屋であったが、人見知りはしなかったという。
両親は患者が六歳の時に離婚し、すぐ再婚しているが、患者は義理の父にまったく人見知りもせず、むしろ躾にやかましい母よりも義父のほうになついた。
小学生時代は気が小さいけれど明朗で社交的だった。
中学時代は笑うと赤くなるのが嫌で人から照れ屋、弱い人間とみられまいとして赤くならないようにつとめたけれども、とくに悩むほどではなかった。
高校時代は青くなるタイプに変わり、人前で歌うときに声が出なくなり、緊張して青くなった。
テレビドラマの出演者募集の試験を受けに行って、自分の名前を言うときに声がでなかったこともある。
しかし、これまた悩まなかった。
高校時代から非行化というほどではないけれど、同級生のように平凡な道を歩むことに反発し、将来は水商売に入る気持ちをかためた。
当時は、好きな男性とは赤くなって話ができなかった。それでいて患者は、好きな男性と性交渉を持つ際に失敗する可能性を怖れて、好きでもない男と予行演習のつもりで初体験をした。
好きな男性以外には、対人恐怖症は全く感じなかった。
高校卒業後はデパート、喫茶店、バー、キャバレーをわたり歩き、まったく屈託もなく楽しく過ごした。
人の思惑にこだわらず、自分の生き方を押し通してきたという。
この対人恐怖症の症例では緊張して顔が青くなるのも、人前で歌うという、きわめて稀な機会にかぎられていて、対人恐怖症の臨床症状をなすまでにいたっていない。
むろんこの対人恐怖症の症例の場合、はっきりした症状変遷とともに前段階の背景化現象が起こっているわけではない。
しかし、すぐ視線恐怖が生じてもおかしくない無理な生き方に平然と自足していたことをかんがえると、対人恐怖症のその線上でとらえうるものと思われるのである。
※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著