先日、得意先の役員の方とはじめて面会しましたが、わけもなく赤面して、大切な内容の説明をすることができませんでした。

再度、訪問して説明不足を補わなければならないのですが、また上手に話ができないのでは、自分は内気でだめだと考えてしまいます。

対人恐怖症の人は、とかく「せんなきこと」を考えてしまうところに一大特徴があります。

せんなきこととは、考えても仕方のないこと、考えるだけ無駄なことです。

また、対人恐怖症の人は、過度の反省癖をもっています。

過ぎ去ったことをいろいろ考えては悩み、どうなるか神でもわからない「行く末」を思いわずらい、一つ一つのことにこだわる・・・。

こんなふうでは、どんな健康な人でもおかしくならないのが不思議です。

というのは、人の一生には、それこそ何千、何万という不安のタネがあり、あの不安この不安・・・というように考えていけば、たちまち脳裏いっぱいに不安が広がってしまうからです。

この対人恐怖症の「弱気な人達」に共通するのは、過去にこだわり、未来に怯えて現在ただいまを無視してしまうことです。

「自分は、このあいだ××さんに会ったとき、わけもなく赤面してしまってうまく話せなかった。
今度もきっとそうだろう。
自分は内気すぎてダメなのだ」

―現に人と会い、向かい合っているときこのように考えてしまえば、ほんとうは自信のある内容であっても、また、内心ではつきあいたいと思っている人であっても、話はできなくなってしまいます。

これが積み重なれば、現在と対決すること自体が恐ろしくなり、ますます逃避し、果てしない悪循環に陥ってしまうでしょう。

対人恐怖症の人が不安に思う心が、生への欲望にのっとった現在の建設的行動にまさってしまうのです。

このような人達に対し、森田博士は、平たく表現するなら、「せっかくこうして会ったのだから、このあいだの赤面したことや、また赤くなってしまうのではないかなどと考えずに、とにかく、自分の話したいことを正確に伝えてみよう」と心がけることを教えたのです。

しいて「自分は赤面症ではない」と暗示をかける必要はありません。

話をするのは、目的があればこそのはずです。

ならば、とにかく今はその目的をまっとうしようと、ただその一点に注意を集中すればよいということです。

森田博士は、これを「目的本位」と呼んでいますが、いまこのときの目的をまっとうすることだけを考え、それに全力投球することが「せんなき不安」を忘れさせ、取り払ってくれるのです。

たとえば、あなたが自分よりはるか目上の人に面会した場合、「うまくしゃべれるだろうか」「言葉遣いが失礼ではないだろうか」などといった心配ばかりしていたのでは、けっしてこちらのいいたいことは相手に伝わらないでしょう。

あがっても、少々失礼な言葉が出てもいいのです。

対人恐怖症の人は、とにかくいま目の前にぶら下がった、相手に会って自分の意を伝えるという目的に向かって、邁進すればいいわけです。

※参考文献:森田療法入門 長谷川和夫著