人の視線が気になる、怖い
大学3年生の大高くん(仮名)は、ある日、大学で、講義終了後の教室に残り、提出期限の迫ったレポートを書いていました。
するとそこに、数名の女子学生のグループが戻ってきました。
どうやら忘れ物をしたようです。
わいわいと楽しそうにおしゃべりをしていましたが、そのうちの一人が大高くんのほうを見たあと、仲間たちと自分の悪口を言っているような気がしました。
「あの人、まだレポート書いている。成績わるいんだろうね」などと言われているのではないかと思うと、その場にいるのが辛いほど、そわそわとして落ち着かなくなったのです。
女子学生のグループはすぐに教室から出て行ったので、その日はそのまま落ち着きましたが、以来、他人の視線が気になり、常に自分の行動が観察されているような、噂話をされているような気がして気が休まりません。
ついには人が集まる場所が苦手になり、大学の講義すら受けるのが苦痛になってしまったのです。
自分の目つきが人を不快にさせていないか不安
川上さん(仮名)は専業主婦。
今年幼稚園に入った子どもが一人います。
この日は幼稚園の初めての保護者会です。
もともと恥ずかしがり屋で控えめな性格の川上さんは、ママ友が作れるか心配していました。
ですが、周りはやさしそうな方ばかり。
これなら友達を作れそうだと胸をなでおろしていました。
誰と仲良くなれるだろうかと考えながら、ひとりひとりの自己紹介を聞いている時、ふと自分が相手を険しい目つきで見つめていることに気付いてしまいました。
すると「相手を不快にさせたのではないか」「私を怖がっているのではないか」と申し訳なく思えてきたのです。
それ以来、自分の目つきや視線が気になって、人と目を合わせることが怖くなり、
相手の顔を見て会話することすらできなくなってしまいました。
視線恐怖には2つのタイプがあります。
ひとつが他人の視線が気になるタイプ。
「常に監視されているようで緊張する」「いつも誰かににらまれているようで怖い」「周りの人が自分の噂話をしているようで落ち着かない」などと感じています。
もう一つが、自分の視線が気になるタイプです。
「自分の目つきが悪く、相手を不快にさせているのではないか」と思い込み、相手を見ることができなくなってしまい、人との交流自体を苦痛と感じるようになります。
どちらのタイプも、他人が自分のことをどのように見ているのかが気になってしまい、顔を見て会話ができない、人が集まる場面を避けるなどのさまざまな弊害が出てきます。
誰でも他人に「じっと見つめられる」と、ある種の恐怖を感じます。
この「じっと見つめる」という行動は、動物が相手を威嚇するときにする行動だからです。
人間も同様です。
つまり「じっと見つめられる」ことで感じる恐怖は、視線恐怖の人の反応が過剰なだけで、ある意味当然の感情なのです。
対人恐怖症の根底には「人に見つめられる」ということに対する恐怖が常にあります。