ある新聞の経済記者をしていますが、大会社の幹部社員にインタビューするとき、出されたお茶を飲もうとすると手が震えてしまうのです。
このような症状が進行するにしたがって、「こんな記者に話はできないと思われているのでは」と考え、インタビューの仕事に恐怖さえ感じるようになりました。
対人恐怖症の相談者は、相手の心の中を勝手に推測してしまっていたのです。
いうなればこの人は、「手がふるえるということは、全人格がだめだということである」ときめてかかっていたのです。
案外、相手は「手がふるえるところを見ると、誠実な人なんだな」と思っていたかもしれません。
対人恐怖症の相談者は、「オレは手が震えるんだ。その震えるところを相手に見せるのだ」という気持ちでインタビューに行くようにすればいいのです。
「オレは震えるんだ」と自分で確認しながら話していると、意外に震えなくなってくるものです。
この人のように、新聞記者ならば記事を書くことが本来の目的です。
その本来の目的に向かって一つ一つの行動に全力を尽くすことにより、手の震えは止まるのです。
職場でよりよい仕事をするという本来の目的と、手が震えるという末節のできごととをとり違えているため、いつまでも手の震えに悩まされているのです。
日常生活においても、たとえば結婚式や銀行でサインをするとき、怖いと評判の先生の前でお茶を飲むとき、あるいは初めてのデートでナイフとフォークを使って食事をするときなど、手が震えるという経験をもっている人は多いはずです。
仕事で手が震えることがあっても、それを異常と思わず、そのときの目的に向かって努力すれば職場での能率も上がることは当然のことです。
そして、自分自身の力も十分発揮できるものです。
実際、手が震えるという不安から対人恐怖症という神経質症になってしまったものの、それを乗り越えていこうとすることで、人間的にも仕事の面でも大きな成果を上げたケースは枚挙にいとまがありません。
対人恐怖症の一例として某社の社長があげられます。
その人の会社の部屋には、いつも震えた文字の額がかけてありました。
理由を尋ねると彼は、「若い頃、手が震える現象に悩みましてね。
死のうとまで思ったんですが、あるとき何かのきっかけで、いい仕事ができれば、手が震えてもいいのじゃないかと思い直しましてね。
そうしたら、どういうわけか手が震えなくなりました。
まあ、その記念とでもいいましょうか」
と笑っていました。
いい仕事をすることに神経を使ったため、それまで手が震えることだけに向いていた注意を外に向けられたわけです。
※参考文献:森田療法入門 長谷川和夫著