視線恐怖の例

ニ十九歳女。

これも対人恐怖症の一種であるが、対人恐怖症患者は、五歳の子の母で、かつて女学校の音楽教師を勤めたことがある。

対人恐怖症患者の訴えるところによれば、対人恐怖症患者は幼児期から小心で、学校でも、手を挙げることができなかった。

頭痛常習がある。

十七歳頃、寝つきの時、突然雷のような激しい音を聴き、呼吸がつまって、声の出ないようなことがあって、一年ばかりの間、時々同様のことが起こった。二十二歳頃、音楽教師をしていた時に、学校でめまいを起こし倒れたことが三回ばかりあった。

ときどき暑中でも、悪寒発熱の感のあることがあった。

この頃は、学校でも常に他の教師から悪感情をもって迎えられ、のけ者にされているのを悔しく思っていた。

ある日廊下で、校長に出合い、激しくにらまれたことがあって以来、次第に人の眼を見ることができなくなり、人と接すれば、絶えず眼のことが気にかかり、恐怖苦悶をおこすようになった。

談話の時など、下ばかり見ているのは、客に対して無礼ではあり、かつ自分のあまり小胆卑屈なことを思われるのを苦しく思って、強いて人の眼を視ようとすれば、にらむようになって、ますます苦悩を感ずる。

芝居を見ても、傍らの人が自分を見ているのではないか、と絶えず気にかかり、その方に、見向くこともできず、ただ茫然と舞台の方に向かっているのみで、芝居の方もわからなくなることがある。

女中に対しても、その眼を見ることができず、自分が威厳を失い、軽蔑されることを気にして、ますます煩悶を起こすようになる。

したがって嫌われ者となり、自分の卑屈で不甲斐なきを思って悲観に陥り、来客の音にも恐れるようになった。

気合術を受け、坐禅法など試みたけれども効果が無かった。

つまり対人恐怖症患者の主症状は、眼の恐怖である。

ここに記載したのは、患者の訴えるがままであるから、校長ににらまれたからとか人から除け者にされたとかいうことも、対人恐怖症患者の性格から出た主観的な観察であって、おそらくは、実際でなかろうという事を推測しなければならない。

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著