振戦恐怖の例
三十二歳、医師。
振戦恐怖の患者。
幼児期から虚弱で、小胆臆病であった。
十三歳、中耳炎にかかり、十七歳とニ十四歳とに二回、上顎とう蓄膿症を手術したことがある。
その他チフス、マラリア等に罹ったこともある。
四年前、結婚式の時、杯を持つ手が震えたことから、はなはだしく羞恥を感じ、これがいわゆる「心の外傷」となって、はじめのころは、その儀式に列席した人のみに対して、その人々に会うごとに振戦を起こしたが、後には、一般の人に対しても手の振戦を起こすようになった。
また長者高貴の人の前に出ては、脇の下、手のひらに発汗はなはだしく、動悸を起こし、全身の振戦を起こすようになる。
人を訪問すれば、茶や酒やを出された時の羞恥の感を予期不安するから、他人を訪問することをなるべくやめ、ためにますます陰鬱に陥るのである。
およそ羞恥や恐怖には、何人も当然振戦を起こし、手は震え、声も震えるもので、これを強く意識し、感動を起こすために、ますます振戦を起こし、振戦恐怖が発展するに至るのである。
かの対人恐怖症と同様のものである。
さて「精神性・持続外傷説」ということについて、-本例のようなものは、はじめ結婚式の時のことが、第一のこころの外傷である。
それであたかも一度、皮膚に外傷を受けて、これがまだ瘢痕を作らない間に、絶えず外部の刺激が加わる時には、その傷は癒える暇もなく、ますます拡大して、深く潰瘍を生ずるようになる。
この見解によれば、治療法として、その傷の癒えない間は、よくこれを保護して、外刺激から避けなければならないという着眼点になる。
しかし、この外傷というものは、森田療法での多くの例について知るように、その刺激が、普通の人には少しも外傷とならない。
しかも、なかには、ちょっと触って、血も出ないような、きわめて些細な精神的外傷もある。
すなわちその本態は、外界の刺激ではなくて、本人の精神的抵抗力のいかんにより、外傷ということは、ことさらに挙げて論ずる価値のないものであると思うのである。
※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著