重症の対人恐怖症(視線恐怖)の克服日記第十三日:(六月三日)・・・今日は、今までのように、別段仕事を探そうとしなかったが、何かしら絶えず働いていた。

人に何か皮肉を言われても、ただ辛抱していれば、次第に消えていくことがわかった。

かえって容易に落ち着いて、口がきけるようになった。

どうして、こんな気になったのかわからない。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)の克服日記への森田正馬の回答『いつの間に、山が見えなくなったかわからない。

それは山に入ってしまったからである。』

重症の対人恐怖症(視線恐怖)の克服日記第十七日・・・廊下に鍬が置いてあるのに気がついたが、どこへしまってよいかわからない。

原さんに聞いてもわからなかったから、先生にお聞きした。

先生は「持って来た人がしまうから、そのままにしておけばよい」とおっしゃた。

後でよく考えてみれば、誰が使ったのか、あるいはこれから使うのかもわからない。

自分はただ、気をきかすつもりで、これを片付けようとしたに過ぎない。

先生の常におっしゃる「気をきかせて間が抜ける」「善人ぶって、わからないことまでやる」というふうである。

金魚に水を入れた時、奥様から、水を何杯入れたかと問われて、自分は十二杯と答えた。

しかし自分は「わかりません」というのがいやさに、十二杯とごまかした。

後で考えて、自分の無能をあらわに言えばよいと思った。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)の克服日記への森田正馬の回答『「十二杯くらいかと思う」と答えれば最も適当である。』

重症の対人恐怖症(視線恐怖)の克服日記第二十日:・・・掃除中、先生からご注意があった。

自分が良く思われたい、叱られるといけない、と思ってするから、鋳型にはまり、見かけばかりになってしまう。

自分は鈍である、不器用である、と決めてかかれば、叱られることは当然のことになる。

その時には、いたずらに自分のことは顧みないで、塵は細かに目につき、物の曲がっていることもよく見えるようになり、行動が自由自在になる。

仕事をしたふりをするのが、一番いけない、ということを指摘された。

先生のいわれるように、自分は仕事をしたふりをしている。

人に見られると具合が悪いから働く、という気が多分にある。・・・

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著