修養のための作業は不可

重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第四日:・・・他の患者から、廊下の雑巾を洗うのに、石鹸をつける必要はない、と注意された。

今日、先生のお話のうちに「皆が、従順な模型的な練習をしたり、修養のための仕事ばかりをしているから、本当の仕事は少しもできない。

池の金魚を見ても、珍しいと思わず、死にかかっていても、これを世話する気にならない」ということがあった。・・・

重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第八日:・・・朝食の跡片付け中、食器を一つ壊してしまった。

しかし、失敗は成功の基である。

これによって、自分の態度の粗忽なのに気がついた。・・・

重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記への森田正馬の回答『こんな理論ではいけない。
再びしくじることは、目前にある。

壊した時、アア惜しいことをしたと、物そのものをもったいないとさえ感じれば、再び失敗はなくなるのである。』

重症の対人恐怖症(視線恐怖)克服日記第九日:・・・今日、薪を整理した時、先生から「君は、自分の頭が良いと考えるか。

自分の頭の働きが悪いということを、よくよく自覚しなければならない。

そうすれば、本当の謙遜の心が起こる」と言われた。

自分は、頭が悪いにかかわらず、気のきくふうをして、人に良くみせかけようとするから、先生のおっしゃるように、仕事が常にいたずらことになるのである。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は昨夜、自分の書いた「神経質」の封筒の数が合わない。

いつもならば、昨夜は疲れていたからとか、理由を付けて弁護しながら、一日中気にかかるのであるが、今日は、先生のお話にヒントを得て、無責任であることは事実であるから、自分が無責任であった、ということを甘受していたら、少しも仕事にさしさえなかった。

午後、風呂焚の燃料について、先生のご注意があった。

実際を適切に示されて、無責任が些細なことからいかに人に迷惑をかけるかがわかった。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は午後、第六回形外会(森田正馬の指導で神経質症状を克服した人達が作る集まり)があり、特に先生のお話で、ここの療法は訓練ではない、自然である、といわれたことが感銘した。

いかに自分は、自然をごまかして訓練をしていることよ。

食後の座談で、先生が、字の下手な人は、彫刻をするようなつもりで字を書けばよい、といわれたことも面白かった。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)患者は自己紹介の時、不思議に鼓動がしなかった。古閑先生に、背中をポンとたたかれた拍子に、震え声ながら、いってしまった。

こんな多勢の人の前で自己紹介ができたのは、はじめてのことである。

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著