11.他を羨むこと

学校で友人が快活にはなしていれば、直ちにこれを羨み、スポーツの話を聞けば、自分もテニスをやらなければ人に後れるように思い、また他人が気持ちよく朝の挨拶をしていると、自分もあのように社交的にならなければならないと考え、直ちに「皆礼」という警句を書きつける。

皆に礼をせよという意である。

12.妄想の恐怖

これは小学時代からあった。
現在のものは、英雄的なこととか淫猥のこととかを描きながら、心の中で独り言をいうので、就眠前、二時間ばかりも費やすことがある。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)の患者は妄想で、自分が野球やフットボールの選手になってみたりすることもある。

今は、就眠前に必ずあるのが、二、三年前には、日中にもあった。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)の患者は二、三時間妄想すると、一篇の小説ができるような気がする。

ある時はこれを利用して、小説家になろう、と考えたことがある。

この妄想の中では、想像の色彩が絵ののように現れ、言葉が心の中で繰り返される。

13.記憶力減退。

注意が分散するために、学校の暗記もできず、人の話を聴いていて、のみこむことができない。

14.電話恐怖。

相手が、どのようなことをいい出すかわからないということが恐ろしくて、電話をかけることも、電話口に出ることもできない。

向こうからかかってきて、やむを得ず出ることがあっても、電話の方に対する意識と、自分の考えに対する意識とが分裂して、何といってよいかわからなくなる。

15.訪問恐怖

重症の対人恐怖症(視線恐怖)の患者が少年時代からのこと。

人が玄関へ来ると、どんな訪客かと思って、脇の下から汗が出る。

人を訪問する時は、その前から、行って後の計画に苦しみ、玄関が近くなれば、心臓の音がひどくなり、声の調子が変わってくる。

玄関の前へ行っても、思い切って入ることができず、行き過ぎてしまい、五、六分間、外を歩いて、また出直す。

あるいは本屋に入り、心を落ち着けて出直すこともある。

甚だしいときは、一時間も歩いてやっと入ることもある。

このため、正月の年賀を廻ることもできない。

何かの会合の時、その時間が近づくにしたがい、心の中で予期不安を繰り返し、心臓の鼓動が、着物の上からでも見えるほどになる。

重症の対人恐怖症(視線恐怖)の患者は昨年末、兄の結婚式の時は、その十日前から予期不安で、気になり、試験の準備も忘れて、毎日警句に夢中になった。

その日の応対に、何とか簡単な言葉はないかとあせり、幾度も幾度も紙に書き直して、落ち着かなかった。

当日は、朝から脇の下に発汗し、動悸が烈しく、泣き声になった。

人と応対していても、何か話していなければ人が変に思うだろうと考え、また自分の顔がこわばっているかと思っては、無理に笑ったりした。

また後で、そのことが人に醜く見えたろうと考えては、急に後悔の念が持ち上がり、なるべく人の視線を避けて、隅の方へ引っ込んでしまった。

テーブルに着いても、ちょっと顔を上げると、前にいる五、六人の人が一時に自分の視線の中に皆入り、にらんだように思い、心を取り乱してくると、直ちに心を強くしようと考え、またありのままにしようと考えては、ますます心が不安になる。

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著