昭和七年三月に退院して、一か月後によこした全治の喜びの手紙は、次のものである。
春も過ぎようとしております。
先生はいかがお過ごし遊ばれますか。
お坊ちゃんのその後の容態はいかがでしょう。
ご案じ申しております。
私に対して、入院中、おやにもまさるご親切なご指導を受け賜わりましたことは、一生私の忘れられないことでございます。
退院致しまして、もはや一ヵ月近くなります。
退院して二日ばかりは、家の整理で、瞬く間に過ぎてしまいました。
三日目には、対人恐怖症の私がお友達とお花見に出かけ、何ともいえない気安さでございました。
あたりの風景に心を惹かれ、丸一日をすっかり遊びとおしました。
それから、ずっと毎日のように、父と二人で、畠に出かけております。
以前は、野良仕事が嫌いで堪らず、何とか彼とか口実をこしらえては逃げ、不平ばかり言っては父母から小言を言われていたのですが、今では、すぐ仕度も整え、先に立って出かけます。
畠の仕事も、以前は全くお使いの気分でやっていたので、工夫などはてんで浮かばず、したがって興味などの出るはずがありません。
今は一日の野良仕事も、あまり長いとも思わず、疲れて帰る時の心持ちは何ともいえません。
疲れて帰っても、ゆっくり休むなどという気持ちにはなれません。
すぐに夕べの支度に取りかかります。
これも以前のような、いい加減なやりっぱなしではなく、次から次へとずんずんきまりをつけて、上手にまとめていけるようになりました。
私は、何事に当たっても、以前と全く違っている自分に気付き、ほんとに嬉しいのでございます。
誰に話しても分らない喜びでございます。
両親も喜んでくれます。
一昨日は、親戚で全快祝いをしてくれましたので、久し振りでお客に行って参りました。
退院後すぐの日記には「私は、どんな仕事でもできるようになりたい。
またやるつもりである」と書いております。
退院後、物事にぶつかるごとに、先生の教えがはっきりと、またぴったりとわかって参ります。
一つ一つが、そうか、そうかでございます。(後略)
※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著